梶 氏
梶 氏
遠藤氏
遠藤氏
齊藤(榮)氏
齊藤(榮)氏
斎藤(正)氏
斎藤(正)氏
井上氏
井上氏
鈴木氏
鈴木氏
市野氏
市野氏
梶 氏 遠藤氏 齊藤(榮)氏 斎藤(正)氏 井上氏 鈴木氏 市野氏

 【2面から続く

――2015年は「創立60周年イヤー」として記念式典、豪州視察、ギネス記録達成と節目にふさわしいイベントを開催し、記憶に残る1年でした。

梶氏 会員の東鉄連に対する無関心さや無用論を打破し、参加型に変えた齊藤(榮)さんのもとで事業のさまざまな役割を事務局ではなく役員に振り、しかも若手に役を与え、傘下団体も巻き込んで会への参画度を高めていったのは効果的だった。そういう雰囲気が根底にあって「周年イベントをみんなで盛り上げよう」という流れを醸成し、求心力が最高潮に達したのは実にタイムリーだったと思う。

遠藤氏 齊藤(榮)さんの「大勢が参加できるイベントにしたい」という想いを汲んでギネス挑戦を考えた。参加目標を1500人以上とし、記念行事の大トリを飾ろうとこの年の12月に日程を定め、鉄屋の集まりらしく「全員でヘルメットを5分間かぶる」種目でギネス世界一を目指したが、直前に他国で記録更新されてしまった。

遠藤氏 このとき齊藤(榮)さんは「延期」とおっしゃったが、私は「決行」を主張。最終的に「手でハート型をつくって繋がった人の最も長いチェーン」種目に挑み、総勢1936人で記録を達成した。このとき東鉄連会員とその家族のほか鉄鋼メーカーや商社からも多数の応援部隊が集い、高炉大手の社長夫妻まで来てくださり、鉄鋼人が心をひとつにしたビッグイベントとなった。

斎藤(正)氏 私は会計担当の傍ら、60周年のときは海外視察旅行を担当した。齊藤(榮)さんの意向で訪問国をオーストラリアに絞って検討することになり、紹介された鉄鋼メーカーの窓口担当とスムーズに話を進めることができた。

斎藤(正)氏 ところで先ほど「東鉄連無用論」云々の話が出たが、逆に「齊藤(榮)会長の時だったら自分も役員をやりたかった」とか「東鉄連の中枢に居たかった」いう人がいたのも事実。善し悪しではなく、やはり役員が主体的に動いた姿が会員に響いたのだと思う。

――齊藤(榮)さん、手応えは如何でしたか。

齊藤(榮)氏 ギネス挑戦・世界記録達成で頂点に達し、東鉄連が会員同士のつながりと団結力を深め、業界団体として活性化しながら次の歴史を刻んでいけると確信できた。当然、それを支えてくれた多くの協力者がいて、それまで参加しなかった会員を引っ張り出し、その人たちがまた別の人を呼んで一緒に参加してくれるという良い連鎖と好循環が生まれた。東鉄連を構成する各団体から必ず誰かが顔を出し「東鉄連として同じ時間を共有」する機会も増えた。

――「60周年イヤー」を成功させた背景には、その前の2年間における蓄積があったことがよく分かりました。これを一過性に終わらせず、むしろ起爆剤にして「アフター60年」をどのように舵取りしたのでしょうか。

齊藤(榮)氏 ギネスをきっかけに、会員の中に「参加する意義」が芽生え、それを高めるために意見を出し、役員がその声を聞いて理事会に届け、正副会長が総括して団体活動の方向性を決めるという基盤ができた。それが具体的な成果として形に表れたのが、さまざまな「視察会」を積極的に企画し、実施するようになったことだ。会員ニーズを汲み取り、興味・関心があっても個々ではなかなか実現できないことを団体として実践することで「東鉄連ならでは」の役割を果たした。懇親会もセットするから、その場で参加者同士の交流が生まれ「人の輪」や「人脈形成」につながる。それが評判を呼んで参加することに意義を見出す。こういう事を長く続けるのが、団体活動の原点だ。

――60周年の翌年の2016年度に梶さん、遠藤さんが退任し、代わって井上さん、鈴木さんが副会長に就任します。おふたりは、新しく生まれ変わろうとする東鉄連の運営に、どのような思いで参画されましたか。

井上氏 当時は大イベント直後で「60周年ロス」みたいな喪失感もあり、活動がちょっと停滞した時期だったかもしれない。それでも「齊藤(榮)イズム」を継続し、たとえば会議のやり方や事業の運営方法を逆行させず、むしろさらに改善・改良を加えていった。

――鈴木さんは、遠藤さんの後任として事業企画担当の副会長となりました。

鈴木氏 それ以前も、私は旧DDN(全鉄連流通情報網研究会)の一員として齊藤(榮)さんの下で委員をやっていたから齊藤(榮)さんのやりたい方向性はおおむね把握していた。齊藤(榮)さんは、さっきご自身がおっしゃったように個々社では難しく、団体でなければ行けない場所を訪問したり、楽しくて「ため」になる講演を聞いたりするイベントをやりたがっていた。その意向は私も同じなので、東京製鉄の田原工場や新潟の柏崎刈谷原発のほか、関西の熱延コイルセンターや磨棒鋼の引抜工場を視察したのは思い出深い。

――その翌年の2017年度には斎藤(正)さんが退任し、後任に市野さんが副会長に選任されました。副会長時代を振り返って如何でしょう。

市野氏 私の担当は総務と会計だった。華々しかった60周年イヤーが終わり、平常な状態に戻ると財政の立て直しが急務となったので、何をやるかを検討する際、必要性と意義をその都度、吟味しながら財政的にできる範囲の事業を見極めた。

――何か記憶に残っているイベントは。

市野氏 ビットコイン講習だ。あの頃の相場よりも今はだいぶ値上がりしている。こんなに価値が上昇するのならあのとき買っておけばよかったと。それはともかく、時流に即したタイムリーなセミナーや勉強会をやったことを覚えている。あと、総務担当なので事務局によく足を運び、スタッフといろいろな話をしたことを思い出す。業界団体運営は、結局は事務局が円滑に動かないときちんと回っていかない。その分、日頃のスタッフの苦労も多いので、アク抜きも含めて諸々の負担を少しでも軽減してもらおうと試みた。

――事務局ではこの頃、長く務めた星野義春さんの引退を踏まえ、採用活動を始めました。

齊藤(榮)氏 その話なら今、事務局にいる内海有美子さんを紹介してくれた斎藤(正)さんのお手柄。彼女が勤めていた東京金属事業厚生年金基金が17年3月に解散するのに伴い、たまたま知り合いだった斎藤(正)さんの斡旋で入局してもらった経緯がある。

斎藤(正)氏 内海さんは事務職経験が豊富で明るく、人柄もいいから五藤卓哉常務理事(当時=事務局長)と共に事務局を任せるのにうってつけだと思った。今の仕事ぶりを見てお声掛けしてよかったと思っている。

――18年度総会で5年間の会長任期を終えた齊藤(榮)さんが退任し、後任を井上さんに託しました。その理由について振り返っていただきます。

齊藤(榮)氏 慣例的に東鉄連の会長は上部団体である全鉄連の副会長以上を任される。東鉄連は全鉄連最大の傘下組織であり、歴史的にも全鉄連会長を多く輩出してきた。当時はたまたま愛知、大阪の団体から続けて会長が出ていたが、おそらく「次の全鉄連会長は東京(東鉄連)から」と要請されると想定し「どなたが相応しいか」を私なりに熟慮し、人物的に申し分なく、会社の規模や知名度、業界団体活動への関わり方や川上業界とのつながり等々…さまざまな観点から、井上さんなら推せると判断した。もちろん、その前提として東鉄連会長に相応しいということは、交流を重ねるうちに多くの点で考えが共通し、話が噛み合い、ウマが合うと実感したから。そこで後任をお願いし、承諾してもらった。

――この時の心境は如何でしたか。

井上氏 私にお鉢がまわってくるとは思わなかったが、まわりの役員の顔ぶれを見ると、年齢的にもキャリア的にも古株となっており「しかたないのかな」と覚悟した。私には齊藤(榮)さんのようなリーダーシップは無いので、皆さんの声や意見をできるだけ聞きながら運営したいという思いで引き継いだ。

――具体的には。

井上氏 「会員に役立つ事業を実践すること」を最優先に、企業経営に必要なコンテンツ、たとえば事業継承や「働き方改革」、あるいは熱中症や人手不足対策、物流問題など多くの会員に共通する課題認識に応える情報や知識の提供が、まずは大事だと考えた。

井上氏 それと同時に、会員の意見や悩みを伺い、それを行政や川上業界など関係先にしっかりと伝えて理解を促し、われわれの「利」につながるよう彼らの政策に反映させてもらう働き掛けも重要と考え、2本柱に据えた。と言うのも、東鉄連の会員は末端の需要家のいちばん近くに位置しており、さまざまな鋼材品種を扱い、鉄の市場の最前線で今、何が起きているか、何が問題かを日々感じている人たちの集まり。その「声」を吸い上げるのが大切だと考えたからだ。(13日付2面に続く)

パネラー

▽梶哲夫氏(元副会長、現・相談役)

▽市野勝昌氏(同)

▽斎藤正一氏(同)

▽遠藤重康氏(同)

▽齊藤榮一氏(前会長、現・理事相談役)

▽井上憲二氏(会長)

▽鈴木正通氏(副会長)

▽山岸邦幸氏(同)

▽大川伸幸氏(同)=順不同