1982年に住友金属工業(現新日鉄住金)入社後、鋼管畑一筋。初任地の尼崎製造所で、取引先の「厳格な品質管理」の洗礼を浴びる。 大学時代は「海外嫌い」を自認していたが、86年に東京に赴任して以降、鋼管貿易で油井管の営業を担当。当時はプラザ合意後の円高で、油井管商売にとっては厳しい冬の時代。鋼管の技術、交渉術などさまざまな分野を耳学問で勉強した...