

都内を発祥とする鋼材流通・加工業約300社で構成する東京鉄鋼販売業連合会(東鉄連)が、1955(昭和30)年5月の創設から丸70年を迎え、本日夕、都内で来賓多数を招き記念式典を催行する。15代目に当たる現・井上憲二会長(明治鋼業会長)に、節目を迎えた感慨やこれまでの振り返り、また、今後に向けての課題や展望を聞いた。
――節目を迎えて。
「東鉄連が発足したのが終戦から約10年が経過した時期。戦後の荒廃、そこからの復興、朝鮮動乱とその後の不況…と世の中が混乱し、その影響で鉄鋼取引において信用不安が横行し商道徳に反する事例も多発したことを憂いた当時の先達が『取引を改善し、商慣習を適正化しよう』と決起した。その動きに都内各地の多くの鉄屋が賛同し、大同団結して結成したのが、前身の『東京都鉄鋼取引改善委員会』だった」
「あの当時で500社にのぼる鉄屋が集結したそうだ。先人たちの『鉄を大切に扱おう』という〝想い〟が東鉄連の原点にあると思うと、実に感慨深い」
――奇しくも時代は高度経済成長期。鉄鋼が重厚長大産業の主役を担ったこともあり、その勢いに乗じて東鉄連も草創期から成長・発展を遂げました。
「その頃の一大事業と言えば、今も東鉄連史上の最大級トピックスである浦安鉄鋼団地を創設したことだ。モータリゼーション到来とオリンピックを控えて都内は交通がマヒ。鋼材自体も大量生産大量消費時代に合わせて大型化する一方、首都圏は宅地化進行で拡張の余地も無く、操業環境を維持・向上するには新天地を郊外に求めるしかなかった」
「そこで浦安沖の埋立地に眼をつけ、鉄の一大物流基地を造成し、何百社という鉄屋がまとまって〝引っ越し〟したわけだが、中小企業によるイチ民間団体がこれを成し遂げたことは『凄い』の一言に尽きる。これが当該の鉄屋にとって大きな恵みをもたらした」
――全国組織結成も。
「上部団体の全鉄連(全国鉄鋼販売業連合会)創設を主導したのも東鉄連であり、これによってメーカーや行政との窓口ができ、鉄鋼二次・三次流通および加工業の地位向上につながった。今、われわれはこうした先達の偉業のおかげでビジネスができており、ただただ畏れ入るばかりだ」
――ほかにも時宜に適った数々の事業に取り組み、業界が直面する課題解決の側面サポートを手掛けて現在に至っています。
「今でも物価高や人手不足・採用難、働き方改革、物流問題、脱炭素…などわれわれを取り巻く経営課題は山積する。変化のスピードも速く、しかも大きいから、もう過去の蓄積や先達の遺産だけでは何ともならない時期にきた。だから鉄屋も変わらなければならないが、その方向は、加工に特化したり自動化・デジタル化に傾注したり、あるいは拠点を集約したり分散・展開したりと個々社ごとにさまざまな形態を模索するのだと思う」
「それを、業界団体である東鉄連が『皆さん、これで行きましょう』と決めつけられないから、個々の企業が目指そうとするお手伝いができればと考える。そして種々の課題を解決するのは、やはり若い人たちの力だ。情報発信なり勉強会なり彼らに役立つサポート事業を、これまで以上に手掛けていきたい」
――業界共通の課題を探って解決策を導くということでしょうか。
「もちろん、それも大事だが、個々の会員がそれぞれ課題を持ち寄り、それを当事者同士で議論しあい、時に悩みを打ち明け、喧々諤々しながら妙案・良策を見出し、活路を拓いていくというやり方や『場』も必要だと考えている」
「それには互いの信頼関係が重要になるが、そこは東鉄連70年の蓄積と加盟9団体が実施してきた親睦活動でベースができている。これを基盤とし、若手が気兼ねなく集まれる雰囲気を醸成したいし、すでに加盟団体の枠を超えてそういうグループがいくつか存在するのは心強い。どんどん応援していきたい」
――それが、東鉄連の「明日」、すなわち将来を展望するうえでも次世代の担い手に参画意識を持たせることにつながると。
「彼らにとって東鉄連が『自分たちの将来の事業展開を考える場』のひとつであってほしいと願う。今までのやり方や慣習にはこだわらず、ウェブの活用でもSNSでのやり取りでもいい。それが起点となり、ワーキンググループや連携・コラボが自然発生的に創出しても面白い。可能性は大いにあると確信する」
――ところで本日は記念式典が催されます。
「夕方、祝賀会を開催し、来賓を含む総勢200人が参集する予定だ。この晴れの節目を、多くの関係者で祝いながら歓談しようと企画した。また後日、会員には『鉄の魅力』というDVDを配布する。マテックスの新井勝良会長が監修・制作し、良く出来ているので期待してほしい」(太田一郎)