

東京鋼管会が発足したのは、高度経済成長のまっただ中にあった1958年(昭33)。東京都中央区を中心としたパイプ問屋が集まって設立した「東京中央鋼管会」を前身とする。翌59年3月には、東鉄連の前身である東京都鉄鋼取引改善委員会に加盟し、65年から現名称となった。
創立起案者は8人。初代会長には現会長の祖父に当たる岡部耕平氏(東成鋼管)を選任した。東京鋼管会の現在の会員数は44社。歴代会長と延べ200社近く会員企業が鋼管会の歴史を築いてきた。このうち会発足時から現在まで残るのは東成鋼管1社のみという点が、時代の移り変わりを感じさせる。
62年に2代目会長に就いた栗原忠一氏(日本建材鋼管)は「会報」を毎月発行し、自ら編集も担当。当時、東鉄連加盟団体で会報を毎月出していたのは本所鉄交会と東京鋼管会だけだったという。74年まで連綿と115号発刊し、一部は50周年記念誌で紹介されている。
81~88年まで6代目会長を務めたのは田中徳右ヱ門氏(田中鉄鋼販売)。副会長の栗原哲夫氏(日本建材鋼管)、岡部耕一氏(東成鋼管)とともに三位一体で会を運営し、栗原氏は第8代会長、岡部氏は第9代会長に就く。田中氏は88年、東京鋼管会から初めて上部団体の東鉄連の会長に選出された。岡部氏も2001から2年間、東鉄連会長を歴任した。
直近10年間の会長は、16年に長谷川修氏(長谷川パイプ商会)の後を山田秀之氏(丸八鋼管)が継承。20年には飯嶋敏彦氏(飯島鋼管)、24年には現職の岡部耕喜氏が就任して次世代にたすきをつないでいる。
発足当初から高炉メーカーなどの工場見学を実施し、新年観劇会など交流事業も盛んに開催した。会員間の親睦と知見を広める目的で海外研修旅行もほぼ毎年実施。コロナ禍に伴う中断はあったが、24年にはベトナム、今年2月には台湾を訪問している。参加者全員がアロハシャツを着用する毎夏の暑気払いは、鋼管会の名物行事として知られる。秋の釣り大会も会員企業の社員が楽しみにする行楽イベントだ。多くの加盟団体が「地域団体」なのに対し、品種で集まっているのが最大の特徴。基本理念も「鋼管を生業とする人を集めて、業界の融和に貢献する」と定めている。
扱い品種や業容的に重複する会員もいるが、会の活動を通じて互いに切磋琢磨(せっさたくま)することで、友好的な雰囲気が漂う。オーナー系と商社系、ベテランと若手が絶妙に盛り込まれた役員人選も会の活性化に一役買っている。現在では時流に沿い、商社系特約店や加工業者の会員も多くなった。
現会長の岡部氏は就任時の取材で「鋼管会の存在意義をもう一度自分なりに消化し、誰もが楽しめて有益な活動に取り組みたい」と意欲を語っている。25年度からは副会長を3人体制に拡充し、会員拡大や鋼管会の認知度向上に力を入れる。