宮城県の農家に生まれ、食糧難だった戦中戦後の幼少期は「野草を摘んで飢えを凌いだ」。 18歳で上京。手に職をつけようと製造業を渡り歩き、23歳のとき縁あって明治鋼業に入社して60年。鉄鋼二次製品問屋から一般鋼材を扱う「鉄のデパート化」を経て表面処理鋼板専業そしてコイルセンターとなり、その後、付加価値向上を求めてフォーミングメーカーへと転身した...