スクラップの重さを量るのに使った竿秤と分銅(上)と、竿に刻まれた目盛り
スクラップの重さを量るのに使った竿秤と分銅(上)と、竿に刻まれた目盛り
小林会長が使い方(イメージ)を披露
小林会長が使い方(イメージ)を披露
スクラップの重さを量るのに使った竿秤と分銅(上)と、竿に刻まれた目盛り 小林会長が使い方(イメージ)を披露

 創業60年余を経て今では薄中板を主体に鋼材全般の販売・加工から本格的なプレス・板金・溶接組立までの一貫体制を整えるキヨシゲ(本社・千葉県浦安市鉄鋼通り、社長・小林光徳氏)。グループとして首都圏湾岸から北関東に工場・倉庫を有し、海外にも事業拠点を構えるほどに成長したが、そのスタートは創業者・小林茂会長(87)による製鋼原料の売り買いだった。

 木製の竿秤(さおばかり)は、往時を偲ばせる商売道具のひとつ。当時はこの竿秤で鉄スクラップや砲金・真鍮といった非鉄スクラップの重さを量った。

 トン単位の大口は台貫所で量るが、その軒数は少なく台貫料も高い。立ち合いなど手間も掛かるので何十キログラムといった1トンにも満たない小口だとわざわざ台貫所に行かない。そこは街のスクラップ回収業者の出番だが、中には勘や目利きで「ひと山いくら」と算定する業者もいた。

 後発のキヨシゲは秤で正確に量る。すると、ヤマ勘や目分量で算定した他の業者の提示価格よりも高値がつくケースも。1円でも高く買い取ってほしいプレス屋や鉄工所はキヨシゲを重宝し「次からはお宅に出すから」と新規取引につながる。

 時代は高度経済成長期。鉄は建設や自動車、家電などの重要な基礎資材となり「産業の米」とも称された。旺盛な需要に供給が追いつかず、貴重品でもあった。スクラップも同様で、秤を使ってその価値を正当に算出する生真面目さが信用となり、その積み重ねを信頼につなげて1軒、また1軒と顧客数を増やし、業容を広げていった。

 この竿秤は、そんなキヨシゲの商売の基礎を築いた原点であり、会社の草創期を支えた「宝」。今はその使命を終え、分銅と一緒に会長室で静かに余生を送りながら会社の行く末を見守っている。

 小林会長によると、鉤(カギ)のあるほうにスクラップを載せた「パイスケ」(竹で編んだ鉢状の籠)を引っかけ、もう片方の柄のほうにひもをくくりつけた分銅を吊るす。竿がちょうど水平均衡にバランスしたところの目盛りで目方を量る。いわば天秤の要領だ。

 同社にとって製鋼原料・資源リサイクル事業は、今も各種鋼材の加工・販売事業と並ぶ経営の柱の一角。鉄が貴重だった時代にスクラップを「飯のタネ」として大切に扱い、真っ当な商売スタイルで愚直に信用・信頼を重ねてきたからこそ現在がある。それを教訓とし、創業時の精神を未来に伝える役目を、この竿秤は担っている。(太田 一郎)