1977年、私は当時の羽田国際空港を一人旅立ちロサンゼルスへと向かった。 この世に生を受け「鐵雄」と名付けられ、父の家業を継ぐのが当然の事として受け止め、そのことに何の憂いも疑問も持たなかった私は、大学卒業後はどこかの同業他社に修行に行くものとばかり思っていた。 しかし父からは突然「アメリカのコイルセンターに行け」と言われ、唖然騒然…。覚悟...