



UEXは今年1月14日、創立70周年を迎えた。そしてきょう17日、東京會舘(東京都千代田区)で「七十周年お取引先様感謝の会」を開く。三島・伊勢原への加工在庫拠点設立、株式店頭公開、証券取引所への上場、再建支援先の倒産、度重なるM&Aなどを経て、このたび節目を迎えた。これまでの軌跡を辿る。(山口 大智)
1955年、上野雄司氏がステンレス特殊鋼販売の雄司商店を設立したことから始まる。当時、上野氏は上野半兵衛商店(現ナス物産)の専務だったが、経営上の問題から独立。当初は日本ステンレスや大同製鋼、日本特殊鋼、東北特殊鋼から仕入れ、小口仕入れでは三興鋼材創業者の池田貞一氏からの温情に預かった。
60年頃には住友商事を介し、住友金属工業と継目無鋼管の取引が始まった。住金材唯一の在庫問屋として、現在まで収益に貢献している。同時期には日本特殊鋼のステンレス丸棒総代理店となり、相当量を預託された。
しかし65年に日本特殊鋼が会社更生法を申請し、大量の丸棒が買い取り在庫となる。資金ショートの危機に直面したが、トーメンに緊急避難的に買い上げてもらったことで、事なきを得た。この一連の危機が丸棒の販売に力が入るきっかけとなったという。
70年代は本格的に拡大期へ突入する。大阪支店、九州・仙台・新潟営業所を開設し全国的な販売網を整備。75年には静岡県三島市に大型倉庫の総合ストックセンター(現三島スチールサービスセンター)、81年には神奈川県伊勢原市に加工在庫拠点の伊勢原スチールサービスセンターを開設した。現在のビジネスモデルの原型とも言える体制がここで確立された。
さらに転機が訪れる。90年、社会の公器となる企業に変貌させるとの思いから、業界で初めて株式を店頭公開。第三者割当や公募増資も含めて23億円を調達することができた。この調達資本が後の命綱となる。98年に現社名のUEXへ社名変更した後、99年に取引先のステンレス金物製品メーカーが倒産。特別損失28億円を計上し、自己資本は51億円から21億円へと低下した。秀高雅紀社長は「あの時店頭公開で資本調達していなかったら債務超過となっていた」と振り返る。2004年にはジャスダック証券取引所に上場した。
上場メリットはM&Aに伴う資金調達の面でも出た。08年、鋳造品・鍛造品・機械部品のファブレスメーカーであるナカタニの株式を33・635%取得し、持分法適用会社となった。19年には住商特殊鋼(現令和特殊鋼)を完全子会社化。同時に同社が持っていたナカタニ株がUEXのものとなり、ナカタニへの出資比率は67・3%に上昇。「両社が子会社となり連結決算に厚みが出た」と秀高社長は話す。
そして今年、ナカタニの残りの株も取得し完全子会社化。次の80周年、100周年に向けて布石を打った。