

城南鉄鋼会は、多摩川を挟んで東京の大森、蒲田辺りから川崎の一部までを囲んだ城南エリアに根ざす鉄屋、またはこの地を発祥とする鉄商の集まり。
創立は1951年(昭和26)10月と古く、東鉄連を構成する9団体のうち神田鉄栄会、本所鉄交会、京橋鉄友会に次ぐ歴史を持つ。地域柄、京浜工業地帯と密接に関わり、域内の重工業を支える地場のエンドユーザーを得意先として直需志向を生業(なりわい)とした。そのため同じ鉄屋同士であっても本所や神田の鉄屋街にみられる「仲間」感覚ではなく、むしろ創業世代は互いを競合先としてライバル視する間柄も多かったらしい。
初代における「競争」を経て今の第3世代は「共創(協創)」を模索し、具体的な成果を得ようと連携・協業する。会長の古畑隆政氏(ヒガ・アーツ&メタル)と副会長の大岩翔太氏(大岩商会)は、若さを武器に考え方も柔軟でフットワークも軽い。会員数9社は、東鉄連傘下団体で最も小所帯だが、その分、まとまりも良く、業態や営業品目が被るところも少ない。
京浜地区や神奈川内陸というモノづくりエリアを主力とし、顧客の少量多品種・短納期といった多様なニーズへのきめこまかな対応が求められる彼らは、個々の強みや機能に磨きをかけつつ、城南鉄鋼会で培った信頼関係をベースに「城南ワンチーム」としての活動に着手。その第一弾が「共同配送」であり、手始めにヒガと大岩の2社が本格スタートし、他の会員企業もこれに参画しつつある。
ほかにも共同在庫や加工アライアンスなどがある。これは、単に「困ったときの外注委託」ではない。戦略思考による「事業化」だ。
たとえば共同在庫は、ある品種について「AB両社の共有物」として一方の会社に当該のサイズ・規格を寄せ、もう片方の会社はその常備から撤退する。加工についても「シャーはA社、レーザはB社」と決め、A社が受注したレーザ加工は全量をB社に委託する。このように「城南鉄鋼会を『多機能を有するひとつのチーム(事業体)』と捉えるビジネスモデルの輪」が広がり始め、東鉄連の中でも注文を集める。
そして、ここに至る重要なポーションを担ったのが、初代と今の世代を橋渡しした2代目世代だ。立役者は、この世代の兄貴分だった大岩商会前社長の故大岩正和氏であり、城南鉄鋼会の9代会長として10年間にわたり会の運営を牽引した。
大岩氏は「会員同士の信頼関係づくり」に精励し、それをベースに常々「何かビジネスへのつながりに発展させたい」と考えていた。これに同調したのが10代・古畑博正氏(ヒガA&M)や11代・村山和雄氏(村山鋼材)ら弟分。彼らは、東鉄連が2000年に立ち上げた電子商取引会社「(株)鉄鋼流通イーシー」創設の際、役員として名を連ねたことでもその精神が伺える。昨年2月に急逝した10代・古畑氏の口癖は「いいからやっちゃえよ」。考えるよりもまず行動、案ずるより産むが易しを〝地〟でいく異端児風だった。
城南鉄鋼会には一般従業員組織「城南鉄鋼会鋼友会」があり、定例会はいつも盛況だ。