高校2年からアルバイトとして溶融亜鉛めっき加工業の南海亜鉛鍍金で働き、卒業後に同社へ入社。2008年に社長へ就任し、半世紀以上同社に勤める、たたき上げの人だ。奇しくも働き始めた1970年は前回の大阪万博が開催された年で「30~40回は月の石を見に行った」と思い出深い。 業界内では「仏の牧さん」と温和な人柄で親しまれる。南米からの労働者を受け...