鎌の形状を発注する際の「鎌形帳」
鎌の形状を発注する際の「鎌形帳」
原寸で指示を記載
原寸で指示を記載
鎌の形状を発注する際の「鎌形帳」 原寸で指示を記載

 昨年創立160周年を迎えた相場商事(本社・新潟県三条市、社長・相場亮嗣氏)は幕末期の1861年金物卸商として創業し、1891年から鉄鋼販売を開始。1924年には安来製鋼所(現・日立金属安来製作所)の特約店となり、特殊鋼流通として地場ユーザーとの強固な結びつきは今に続いている。

 同社には家業の指針を示した「家憲」や就業規則をまとめた「店則」など、先祖伝来の史料が多く伝わる。

 当時の商いの姿を伝えるもののひとつに「鎌形帳」がある。金物商として職人に鎌の形状を発注する際の発注指示書に近いもので、当時は全国から手紙で送られていた。

 1分の1のサイズに筆書きで形状のこだわりや材質の指定が記されている。表紙には明治19年の記載があり、「島根県安来市のたたら製鉄の歴史を伝える和鋼博物館にも資料を提供した」と相場社長。

 中には鋸の現物サイズの木版に住所を書いて送ってこられたこともあったという。

 「当時は金物店としてこの図を鍛冶職人に見せ、全国のお客さんとやり取りをしていたのだろう。職人が製造したものを当社で買い上げていた」(相場社長)。

 同時代のよすがを感じるもう一つの〝お宝〟が明治政府が発行した太政官札だ。慶応4年から明治2年まで発行された日本初の全国通用紙幣。昨年度の大河ドラマ「青天を衝く」でも主人公・渋沢栄一が流通に腐心する姿が描かれていた。

 通貨単位が「両」から「円」に切り替わる直前の過渡期の紙幣で、同社が多くの地域と交流していたことがうかがえる。

 相場社長は「これらの史料は先祖が大切にしていたものであり、未来永劫、残せるものは残していきたい」。

 先代である父は相場社長が23歳の時に他界し、相場社長は27歳までは東京、島根で修業。父からは直接多くを聞くことはできなかったが、母、会社のOBからよく伝え聞いた。

 「曽祖父の時代は金物商が主体。番頭に昇格したお祝いは、当時は珍しかったオーダーメード仕立てのスーツ。それだけ社員を大切にしていた。そして一人前になるとどんどん独立させのれん分けした」。

 「初めてスーツを着た時は、それは嬉しかったものだ」とは今は亡きOBの談。

 相場社長は「地域社会、社員、会社の三方良しを実践。鍛冶の町三条の老舗特約店は大番頭がおられ、その気風がある。当社はこれからもチームワーク良く、気配りのできる社風であり続けたい」。(杉原 英文)