近藤與助工業(本社・新潟県三条市、社長・近藤雄介氏)は昨年、創業145周年を迎えた老舗特約店だ。2代目近藤與助の名跡を継いだ祖父・近藤長八氏の時代の金床が現在の三条本社入口に据えられ、三条鍛冶の歴史を今に伝える。
「当時のお客さまの中に刀鍛冶職人も多く、鋼材を買っていただいたお礼に盆暮れに配った。重量は100キログラム以上あり、本社改築の際は4人がかりで苦労して運んだ」と近藤雄介社長は語る。
金床の正面には屋号であるカクヨのマークと当時の主力取引先のマークが入っている。
2代與助氏は戦時中から終戦まで三条商鐵組合の4代目組合長を務めた。
近藤社長が生まれた数年後、1953年に近藤與助商店(鉄鋼、機械工具、切削工具、水道用品等)と近藤社長の父、近藤與志雄氏が個人経営する会社(鋼材、二次製品、シャーリング)が合併し、近藤與助工業が設立された。
與志雄氏は3代與助を襲名し、高度成長期に三条工業会会長を務め三条の鉄鋼業を支えた。
4代目の近藤社長は17代三条商鐵組合長に就任。任期中に設立110年周年を迎え、在任期間は戦後最長の10年となった。
「三条商鐵組合は昨年130周年を迎えた。100周年当時9万人弱の人口で48社が加盟し、一般鋼材の商鉄組合の他に原料やステンレスの団体があった。人口密度に対する鉄の扱いの多さは比類ない」。
近藤社長は三条鉄鋼業の成り立ちをひも解く。「三条は信濃川と五十嵐川に挟まれた地域で米の集散地。川舟で米俵を運搬していた。米を下した後はバランスが崩れる。そのためシャフトのような丸鋼を置いた」。
「それをどう有効利用するか考えたのが起源。はじまりは和釘。当時の江戸は大火も多く、鍛冶が隆盛した。三条では次いで刃物や利器工匠具に、燕は煙管や金属洋食器へ、産業を広げた」
「一般鋼材や特殊鋼、ステンレス、チタンと多様な鋼種を扱い、安定供給してきたからこそ鉄の街として栄えた。創業100年超の企業が多く、創業者の名を冠した社名を貫く企業が多い。弊社もこの社名と想いを受け継いできたからこそ今がある」と近藤社長。 (杉原 英文)