新日本製鉄に入社し、堺の高炉休止後の人事労政、本社のラインパイプ輸出営業で鍛えられ、97年に室蘭で工程業務。ここから棒線ひと筋で、00年に名古屋支社へ。ユーザーや加工メーカーを訪ね歩き、「今の仕事の礎になっている」。10年から本社で、19年に営業部長。 「棒線は素材×工法の一貫で価値を作る。サプライチェーン全体の発展なくして当社の発展もない...