大正生まれの気骨あるハガネ屋だった。 病弱な幼少期を経て戦時下をくぐり抜け、20歳過ぎから夢中で働いた人生は「修羅場の連続だった」。兄の嘉一氏と無から興した会社を国内屈指の特殊鋼問屋に育て上げ、昭和56年から24年間にわたり社長を務めた。当時、今は亡きハガネ屋の重鎮が「平井さんは最後の商人だよ」と評した。義理を重んじ、鬼気迫る覚悟で仕事に打...