全国厚板シヤリング工業組合(=ZSK)が、1976年(昭51)にそれまでの任意団体「全国シヤリング組合」から当時の通産省(現・経済産業省)が認める「中小企業団体の組織に関する法律に基づく法人」に改組し、今の名称となって50年の節目を迎えた。きょう29日の定時総会後に記念式典を開催する。
厚板シヤリング業(以下=シャー業)は、戦後日本の高度経済成長とともに発展した業種の一つ。その歴史をひも解くと、わが国で最初にシャー業を創始したのは大阪の古川庸男氏である。
古川氏は、官営八幡製鉄所のシャーリングマシンの剪断能力に眼をつけ、これを民間企業に導入することを考え、英国製シャーリングマシンを輸入。1909年(明42)に大阪の北区堀川町で民間シャー工場を開設した。
ここから起算すると、わが国シャー業は120年近い歴史を刻んできたことになる。それ以前は、鉄板を切るのにタガネを使っていたらしいが、機械設備によって一瞬で切断できるようになり、能率が格段に上がった。
「切板」で産業を下支え
シャー業の創生期に当たる明治、大正、昭和初期における目的と存在意義は、製鉄メーカーからの発生品の有効活用にあった。
一般に、耳付き厚板を入手するようになったのは戦後。高度経済成長の中で建築鉄骨や橋梁・土木、建機・産機、重電、自動車・車両、造船といった幅広い需要業界に「切板製品を提供すること」を使命とし、これら産業を縁の下から支えつつ日本鉄鋼業の発展にも貢献した。その背景には、溶断加工設備の技術進歩がある。
1950年代にフレームプレーナーが導入され、幅断ち切板の量産を可能とした。60年代に入ると倣い装置付き溶断機(アイトレーサ)が登場。さらにはNC機能を搭載した溶断機が誕生し、生産性や歩留まりの向上といったメリットが得られるとして60年代半ば以降、急速に普及する。
切断方法がシャーから溶断へと移行するにつれ「薄物の直線切り」から「厚物の矩形/異型切り」へと加工領域を広げていった。
その後、プラズマ切断やレーザ切断といった新たな技術が開発され、切板形状や板厚、切断速度や品質・精度、ロットの大小や納期など多岐にわたる顧客ニーズに適した加工ツールを選択できるようになる。設備は今も改良・進化を続け、NCガスの自動化やプラズマの直角度向上と環境性能、レーザのCO2からファイバー化と大出力化などが代表的だ。
12人がバトンつなぐ
高度経済成長期の重厚長大産業の拡大とともにシャー業も急増する。それに伴って業界内からは「同業者団体」の必要性と結成を求める声が高まり、1962年(昭37)3月に全国の厚板切断業を生業(なりわい)とする151社が大同団結し「全国シヤリング組合」(任意団体)が誕生した。
同組合は、それ以前に東名阪および九州で戦前から存在するシャー業20社で構成する「シャー協会」を前身とするシャー業界初の全国組織であり「信頼と共生」をスローガンに、全国9支部を擁して活動を展開。組合員企業数も、早々に200社を超えた。
ただ、米ニクソンショックに端を発する70年代前半の大不況に直面し、組合基盤を強固にするため「中小企業団体の組織に関する法律に基づく法人」認可を取得。全国の同業者の過半を超える294社の加入を得て76年(昭51)5月に現在の「全国厚板シヤリング工業組合」に改組した。
初代理事長は檜山千代松氏(東京シヤリング社長=当時)で、今の中島克英理事長(日鉄神鋼シャーリング副社長)まで半世紀の間に計12人が「理事長」のバトンをつないだ(別表参照)。そして本日の総会で13代目へと引き継がれる運びだ。
シャー市場の構造変化
バブル景気とその崩壊、リーマンショック前とその後の世界同時不況、アベノミクス&東京オリンピック景気後のコロナ禍での鋼材価格急騰とその反動不況…と、幾多の景気浮沈を繰り返しながらもシャー業を取り巻く切板マーケットは、国内の成熟経済と少子化によって構造的に縮小。人手不足と「働き方改革」がそれに拍車をかける。
主力の建材分野は、バブル期をピークにこの30年間で凸凹こそあれ、建築鉄骨需要が年間1200万トンから足元では400万トンを割り込み、約90万トンあった橋梁需要は足元では10万トンに満たない。
ZSKの出荷量も、最盛期は90年度(平2)の578万トンだが直近の25年度(令7)は7割減の160万トンだ。
これら需要減とそれに伴う鉄鋼業界全体の再編の流れによって、シャー業も系列や独立系を問わず統廃合や事業の縮小・撤退を余儀なくされ、発足時は約300だったZSK加盟総数は現在、158。10年前の約160強からさらに減少した。
半面、積極的な設備投資で加工能力を増強したり事業領域を深掘りして下工程を強化したり、M&Aや事業承継で商域を拡げたりといったケースも見られる。他品種系からの新規参入も含め、業界の勢力図が変わりつつあるのかもしれない。
「役に立つ活動」展開
一方で変わらないのは、シャー業の使命は今も昔も厚板流通機構の中間に立ち、製鉄メーカーにとっては母材拡販の一役を担い、需要家に対しては切板専業ならではの品質・歩留まり・コスト優位性や在庫・即納などのメリットを提供すること。
しかも昨今は厚板サプライチェーンが太く短くなり、需要家・顧客は生産効率を追求すればするほど自社が最も得意な組立・製罐に経営資源を集中させるべく、納入先にはアセンブリの手前まで下ごしらえした「ユニット部品」のジャストインタイム納入を求める。
構造的買い手市場の中でシャー業は、マーケットインの発想で多様化・複雑化する顧客満足度を満たしながら競合先との差異化を図るため、単純な切板加工で終わらせず開先や穴明け、曲げといった二次加工はもちろん、機械加工や溶接・組付といった川下工程までを取り込み、いわば「お客さまの前工程を担う」ことで独自の付加価値を発揮するのがサバイバル戦略となる。
これ自体はシャー業個々の自助努力に委ねられるが、ZSKではそれを側面からサポートし、組合員企業の経営や事業に役立つ活動を展開するのが業界団体の役目だとして「取引適正化」活動を中核事業と位置づけた。
これは「長年の商慣習に基づく不合理な取引条件を改善する」という、個々社では解決しづらい共通の課題を組合が取り上げ、行政や日本鉄鋼連盟および需要家諸団体に対して業界事情や改善テーマを説明・陳情しながら「最適解」を主張し、相互メリットを導き出そうと率先した活動だ。併行して組合員企業への周知と理解を促し、成果を還元することで個々社の取引先との個別交渉における問題解決を支援したのは、まさに業界団体の役割を果たし、存在意義を発揮したと言える。
契約内容の文書交付化やミルシートへの工事物件名表記の廃止、経産省と国交省の当該局長連名による建設諸団体への「取引慣行改善に向けた要請文」発行に、ZSKが主導的立場で関わったのは後世に残る成果である。
円滑な世代交代後押し
ZSK加盟企業には代々にわたって家業を継ぐ独立系が多く、 その若手経営人材の育成に力を注ぐのもZSK主力活動の一つ。
2010年(平22)秋に初の「全国青年交流会」を開催して以降、毎年の恒例行事とし、今は「ZSK鐵人フォーラム」に昇華させて内容を充実。毎回、多くが参画し、同世代同士の人脈形成のほか互いの情報交流やビジネスの場につなげている。
彼らは次世代のZSK運営を担う有望株としても期待されており、スムーズな世代交代を展望する上でも業界団体に相応しい活動ではないだろうか。
生産・技術系や総務・労務問題、環境対策やITデジタル化といった諸項目についても、ZSKでは各委員会で活動を展開している。
きょうの節目を、ZSKの歴史の再確認と先達に敬意を払う機会とするとともに、厚板サプライチェーンが大きく転換しかけている今だからこそ、その時流に乗れる「新たなシャー業への変革と在り姿は何か」について、ZSKの組合員企業はもちろん全ての関係者で真剣に考える場としたい。(太田 一郎)





