山岸邦幸社長
山岸邦幸社長
山岸泰幸常務
山岸泰幸常務
社長・常務2ショット
社長・常務2ショット
山岸邦幸社長 山岸泰幸常務 社長・常務2ショット

 独立系薄板販売業の東邦シャーリング(本社・千葉県浦安市鉄鋼通り)はきょう9日、創業100周年を迎えた。店売り市場で仲間取引に徹し、小口・バラ出しのきめ細かな即納商売を強みにしてきた同社の1世紀にわたる歴史の一部を振り返るとともに、山岸邦幸社長と山岸泰幸常務に、節目を迎えた心境や今後の展望について聞いた。(伊藤健)

――創業者・山岸勇夫氏が東京・神田で「山岸勇商店」を興し、二代目・山岸勇幸氏と経営を引き継いで、今年で100周年を迎えました。現在の心境について。

山岸社長「関東大震災後や戦後などいろいろな時代背景や経営環境、難局を乗り越えてきた経営者と、先人社員らの篤い愛社精神の気持ちを引き継いで100周年を迎えることができた。まずは今も当社を支えている社員、そして会社を支えてきた先人らに感謝したい。企業としては喜ばしいことだが、惜しいことに今年2月に私の父で2代目社長・山岸勇幸が生涯を閉じた。一緒にお祝いをしたかったのが非常に心残りだ。節目の100年とは言え、まだ通過点にある。今いる社員とともにこれからも会社を続けていく〝今〟と〝未来〟が重要。当社は鉄屋のオーナー企業であり、幸いにして私の後を継いでくれる4代目の山岸泰幸常務が入社してくれた。後継者問題は何とか解決したが、一方で今は人材不足という課題に直面している」

山岸常務「私は今年33歳になり、当社は私の年齢の3倍の歴史がある。山岸社長と同じ思いになるが、まずは先人社員ら、そして今いる社員に感謝したい。私自身が生まれてから今日まで生きてきた衣・食・住やその他に至るまで、社員らが頑張って働いてくれたおかげと感謝している。またこの33年間、経営者として会社の舵取りをしてきた父・山岸社長にも感謝している。そして2月に亡くなった祖父、創業者である曾祖父にも」

――節目の100周年を機に取り組んだことは。

山岸常務「100周年の記念事業は私が責任者として任せられ、『100周年誌』の刊行と、ホームページのリニューアルを考えている」

山岸社長「残念ながら先代が亡くなったので、祝賀的なイベントや式典は見送る」

――山岸社長のご自身の歩みの中で、転機になったことは。

山岸社長「実は浦安鉄鋼団地が開設された当初、当社は団地内に営業所と倉庫を構えていた。当時は海岸近くの倉庫だったため、潮風でサビてしまうことがあり、一度、浦安を出て木場で商売することとなった。しかし1987年に木場公園を造成するため、再び浦安に戻ったことが経営という立場では一つのターニングポイントだろう。また今も進行中だが、店売り市場の縮小。先輩らの話によると、店売りの起源は粗鋼がまだ少ない時代に自動車メーカーなど大手ユーザーらの需要に応えるため、町場の鉄屋に鉄鋼製品を在庫し、いつでも手当できるようにしたのが始まりとされている。その後、粗鋼生産が拡大し、町場に在庫された鉄鋼製品を同業者間で売り買いする仲間取引が生まれていった。しかし大きな転機となったのが、1999年に大手自動車メーカーが鉄の資材調達先を選別・集約したことだ。それまで店売り価格はユーザーへ直販するヒモ付き価格よりも安かったため、店売り市場からも相当量の鋼材が自動車などのヒモ付きユーザーに流れていた。以降はヒモ付き価格が値下がりし、店売り市場の鋼材の販売量も大きく減少した。その後もリーマン・ショック、東日本大震災、コロナ禍と難局が重なって、店売りの縮小傾向は今現在も続いている。しかし店売り市場が無くなることはない。鉄板1枚2枚のバラ売りの注文に応えて販売するところに、店売り市場が存在し続けるニーズがある」

――東邦シャーリングの強み、特長について。

山岸社長「改めて当社の強みと言われると、たった1枚の鉄板を買いたい人のために在庫し、直ぐに販売できる『即答・即売』だろう。店売りは客から問い合わせがあったその場で値段を決めないと商売にならない。また我々が販売する鉄板は何に使われるか分からないため、特に在庫管理、品質には力を入れている。昔、大先輩である故・田中徳右ヱ門さんに言われたことは『東邦シャーリングはお客様に早く、間違いなく、品質のいいものを販売しているから繁盛している』と言っていただいた。お客様が東邦シャーリングに来るということは、必ず買う意思がある。1枚でも2枚でも細かなバラ売りの注文でも東邦シャーリングさんに頼めば、必ず手配してくれるという信頼感とそれを可能にする社員がいる」

山岸常務「社長の述べた『早さ、正確さ、高品質』が強みであり、当社の製品を引き取りに来るドライバーやユーザーからも高い評価を頂けている。またシンプルなことだが、早く、正確に、高品質の3つを実践している営業や現場らの社員も優秀であり、この点も強みだろう。一方で、この強みから変化することに少し保守的になっていることも否めない。優秀な会社や組織ほど変化を恐れるもの。平成生まれの若輩者である私が改めて今の時代や社会に合った会社に変えていくことにも挑戦していきたい」

――新たに取り組まれていることについては。

山岸常務「現在システムの更新を進めている。管理システムは既に着手しており、営業のシステム更新も検討している。営業の本来の仕事は、取引先の要望をくみ取り、欲しいものを提案し、価格を提示して販売すること。しかしそれ以外にも雑多な細かな業務も多い。システムを更新することで、営業は目の前の課題に全てのリソースを集中できるような環境を整備したい。今は人材不足の課題を抱えている。少ない人員で業務を効率的に回せるように、これからもシステム更新やIT化で業務改善を図っていきたい」

――この先の会社の将来像や展望について。

山岸常務「一般論として、明治維新や戦後など社会が変革するときに多くの組織や企業が生まれてきた歴史がある。当社も今から100年前の関東大震災後の混乱の中で生まれた。社会が成熟してくると、組織や企業の集約や大企業化が進み、マーケット構造も需給が最適化され、隙間のニッチの需要も減っていく。隙間で生きているのが我々中小企業であり、当社のような店売り専業の鉄屋だろう。図形の丸で例えれば、丸の中に小さな組織や企業の丸が生まれ、集約・統合が進んで大きな丸がいくつも生まれるが、丸が大きければ大きいほど、丸と丸の隙間も大きくなる。自画自賛になるが、当社は営業も管理も現場も優秀な社員が所属しており、能力的にも彼らは物を売る力、努力をする才能がある。一方で、私ら経営者は何ができるかというと、素晴らしい社員を抱えていても、他社と戦うための武器や環境を整えることが重要だろう」

山岸社長「店売りの薄板販売に特化し、脈々と継承していた営業力は当社の強みであり、この営業力で会社は100年続いてきたが、先般話した通り、今は人材不足の課題に直面している。2代目は機械設備も好きだったが、それよりも人と人との商売を大切にする営業スタイルの商いだった。いろいろなことを検討してきたが、自分が経営者でいる間は先代からの営業スタイルを継承し、素材販売に徹することを決めている。先ほど山岸常務から武器や人材の話があったが、会社の未来に向けていろいろなことを毎日、親子で真剣に意見を交わしている。お互いが言い合い、お互いに聞く耳をもち、お互いを認め合い、意見が合わない場合は腹を割って話し合う。お互いが納得するまで話し合っている」

山岸常務「父は祖父から社長を引き継いで私が入社するまで、一人で20年余りにわたって東邦シャーリングを経営してきた。いつの日か私も経営を継承する日が訪れる。父と一緒に経営できる時間はそれほど残されていない。その時までいかに父と話し合っておけるか。この立場で話せる時間は限られている。今は父とは真剣に向き合って話し合っている。当社は一時期を除いて加工設備を持たずに、店売り専業で100年間続いてきた。優秀な先人社員たち、また今も会社を支える素晴らしい社員がいるからこそ、当社の設備は〝人〟である。人への投資はこの先も継続していきたい。一方で、変化も必ず訪れる。創業時の関東大震災直後の混乱や戦後、高度成長期、バブル崩壊、リーマン・ショック、コロナ禍といつの時代も変化は激しい。会社は変化する社会で生きていかなければならない。当社が大切にしてきた、お客様に対して真摯である、丁寧である、早くある、といった基本の軸や理念は変えることなく、次の100年も生き残れるようにさまざまな取り組みを進めていきたい」