ハウゼコ神戸氏のルーツが分かる貴重な史料
ハウゼコ神戸氏のルーツが分かる貴重な史料

 換気部材メーカーのハウゼコ(本社・大阪市中央区、社長・神戸睦史氏)のルーツは、江戸時代初期までさかのぼる。伊勢の武将であった神戸氏が、池田輝政の部下として姫路城の築城に尽力。その子孫が御用商人となって屋号を「油清」とし、油や、鎧・兜・刀剣などの古物商・金物商を行っていたという。実際に江戸時代の姫路城下の古地図には「神戸」と記された区画がある。城下町で軍需物資になり得る油・鉄関連の商いを行うことは、城主に近い部下にのみ認められており、苗字・帯刀を許された神戸家もその一つであった。

 大福帳(写真下)には、当時の記録が残されている。横長の筆箱サイズの大福帳には、品物のジャンル別に取引先名とその住所が並ぶ。「針金商」、「鏡商」、「銅物商」など、鉄関連だけでも数ページにわたり、中には「真鍮=佐渡島伊兵衛」と、現在も大阪で表面処理鋼板の販売を行う佐渡島(本社・大阪市中央区、社長・佐渡島康平氏)の前身となる会社との取引記録も残っている。また、「外国尺度」のページにはインチやフィート・マイルについて、尺や分で換算した一覧も掲載されていることから、海外製品の取引もあったのではないだろうか。

 城下町での旺盛な商いに陰りが見えるのは、明治時代に突入してから。明治維新の一環で明治4年に廃藩置県が行われ、6年に廃城令が布達。姫路城も取り壊しが検討された。しかしそこでも神戸家は奮闘した。姫路城の永久保存のため、陸軍省の中村大佐に協力して、神戸清次郎氏(写真左、神戸雅弘会長の曽祖父)が23円50銭で姫路城を一旦落札。翌年2割上乗せして陸軍省に売却した。明治25年には、件の協力について陸軍省から「撮歴縁起」書と銀杯を拝受している(写真上中央)。

 大福帳や銀杯は現在、ハウゼコ本社に保管されており、神戸社長は「現会長の祖母が、第二次世界大戦時に疎開した際に大阪から持ち出したため、こうして焼け落ちることなく我々の手に戻ってきた。これからも代々大切にしていきたい」と語る。神戸家の江戸から明治にかけての時代に翻弄されたことが分かる貴重な史料からは、激動の時代を生きた商人たちの声が聞こえてくるようだ。(山浦 なつき)