電気炉設備の設計から据え付け・メンテナンスまで行う製鉄エンジニアリング会社、ニッコー(本社・神戸市中央区)はきょう26日、創立60周年を迎えた。28日には社員やその家族、OB・OGなど約80人が集まり、ANAクラウンプラザホテル神戸で式典を開催する。創立から今日に至るまでの同社の軌跡を振り返る。また、直近の取り組みや次世代に向けた事業展開などについて有働航司社長に聞いた。(綾部 翔悟)
バーナーメーカーから総合製鋼設備メーカーへ
ニッコーは有働社長の祖父で、八幡製鉄(現日本製鉄)、大阪製鋼(現合同製鉄)、日伸製鋼(後の東伸製鋼、現JFE条鋼)などに勤務してきた有働功氏が、1966年に製鋼工場のメンテナンス事業会社、日本鉱産を兵庫県姫路市飾磨区に設立したのが始まり。当初は日伸製鋼姫路工場でのメンテナンス下請け作業を手掛けながら、熱焼機器(商品名=ジェットバーナー)の開発に取り組み、製鋼技術コンサルタント業務も開始した。
日本鉱産は製鋼用資材(合金鉄)を主に扱っていたが、ジェットバーナーや集塵装置といった製鋼設備などの納入が増え、社名の「鉱業」が事業実態にそぐわなくなったため、77年2月に現社名の「ニッコー」に変更した。その後は2回のオイルショックで電力コストが上昇したため、省エネ・ハイテク化がクローズアップされる中、製鋼業界に従事する同社は省エネ・省力化技術に特化したジェットアークシステムを販売。この過程では、同システムの開発に携わった社員、功社長の元部下、電気炉担当エンジニアなど、3人の電気炉設備などに精通した技術者が入社したことを機に業容を拡大した。
それまで培ってきた知見・ノウハウに加えて、3人のエキスパートの知識と技術により、製鋼設備における技術レベルが大幅に向上・拡大し、電気炉付帯設備(バーナー、集塵装置など)から電気炉・取鍋製錬炉まで設計・製作できるようになった。
バーナーメーカーから電気炉設備メーカー、さらには総合製鋼設備メーカーと飛躍を遂げ、その後は韓国や台湾メーカーなどからの新規電気炉の受注にもつながっている。
着実に実績積み重ねる
バブル崩壊後は、製鋼業界における需要低迷や販価下落で製鋼メーカーが厳しい経営状況となり、ニッコーも業績に陰りが見え始める中、96年4月に功社長の長男の英司副社長が社長に就任。英司新社長は「電炉製鋼技術のパイオニアたるべし」との決意を表明し、社是「クイック対応、シンプルな機構、高品質」を掲げた。
不況による業績悪化で、人員整理や加西工場の売却および海外拠点の整理といった経営資源の選択と集中を推し進めながら、電気炉設備および付帯設備を受注するなど実績を積み重ねていく。受注に関しては納期対応が評価されることも多く、功社長の口癖でもあった「ニッコーは製鋼工場のドクターたるべし」という、常にユーザーに新技術のネタを紹介するとともに、納期最優先で絶対に遅延しないという「ニッコーのDNA」が脈々と受け継がれていることを示している。
リーマンショック以降、英司社長は「会社を存続させる、利益は社員に還元する」との決意を表明し、社内体制の刷新、福利厚生の充実や社員待遇改善に積極的に取り組んだ。同時並行で、電気炉やその付帯設備の開発・製造、コンサルティングやメンテナンスを含め、トータルにサービスを提供する総合エンジニア企業を目指し、2007年5月には現在の姫路製造所を新工場として開設した。
そして、国内製鋼メーカーを中心に納入実績を増やしながら、メーカーとの共同技術開発(還元スラグからの人工石材の成分分析など)も進め、企業としてさらなる成長を目指している。24年4月に英司社長から航司取締役に社長のバトンが渡った。新たな経営体制となり、60年の節目を迎えたニッコーはこれまでの軌跡で先人たちが歩み、そして蓄積した技術・設計力・ノウハウを昇華し、製鋼業界でのプレゼンスを高めていく方針だ。







