




東京鉄鋼販売業連合会(東鉄連)の歴史を紐解くと、創立は1955年(昭和30)5月20日。名称は「東京都鉄鋼取引改善委員会」だった。発足までの経緯を辿ると、話は終戦後に遡る。
当時、東京は敗戦の痛手から癒えずにいたが、生き残った鉄屋は再起すべく、焼け野原から鉄スクラップや焦げたトタン板、鉄筋丸棒などの古鉄を掻き集めてはそれを売って日銭稼ぎに奔走した。
その後、各地で仲間同士が寄り合い、同業者の会を結成する。これが今の神田鉄栄会や本所鉄交会、京橋鉄友会らの原型である。(10、11面参照)
朝鮮動乱が勃発による「金へんブーム」で多くの鉄屋が恩恵に浴したが、ブームが去ると反動で「昭和29年不況」が到来。政府の強烈な金融引き締めの煽りで金融難に陥った企業が支払いを延ばし、挙げ句の果てには不渡り手形を乱発。「手形をみたら不渡りと思え」という言葉が飛び交うほど市場は混乱した。
市況暴落や取引先の倒産に加え、商品を納めても代金をまともに払わない悪質業者も出現。信用不安が蔓延し、日々の商売に戦々恐々とするありさまを「何とか改善しなければ」と神田、本所、京橋の各代表が集まり対策を講じる。それが「3団体で委員会組織をつくり、信用情報を集めて加盟企業に配布したり悪質業者には警告を発して排除したりして商業道徳の高揚や業界秩序の回復につなげる」というものだった。
ここに「東京都鉄鋼取引改善委員会」が発足する。信用問題や悪質業者への悩みは共通するだけに他団体も続々と加入。会員総数はざっと500社にのぼり、都内における鉄屋の一大組織となった。初代会長は西山傳平氏。その義理の孫が現・井上会長である。
浦安鉄鋼団地造成、全鉄連創設を主導
時はあたかも高度経済成長期。会員企業の業容拡大など鋼材販売業を取り巻く情勢も日々大きく変化する。委員会の活動内容も「取引改善」のみとするわけにもいかず、61年5月に発展的解消。新たな連合会組織の「東京都鉄鋼取引改善連合会」を発足させ、略称を「東鉄連」とした。68年には「東京鉄鋼販売業連合会」に改称し、現在に至る。
東鉄連では「鋼材販売業の基盤強化」と「経済成長に即応する企業体質の改善」を使命とし、取引改善から一歩進めて(1)鋼材販売業者の大同団結(2)鉄鋼需給円滑化と価格安定(3)末端流通機構の強化拡充(4)商業道徳昂揚と不良取引排除(5)特約店経営基盤確立―を重点項目に掲げた。
これに基づき数々の事業に取り組み、事績も多い。中でも浦安鉄鋼団地造成と全鉄連創設を主導したことは、鉄鋼流通史に遺る偉業である。全鉄連創設については、その前年暮れに本紙が主催した東西団体代表者座談会がきっかけになった。
ほかにも電子商取引事業で「(株)鉄鋼流通イーシー」設立などが挙げられる。そして目下は、業界の「デジタル化推進」にとりわけ力を注ぎ、行政と全鉄連を含む会員との橋渡し役としての使命と機能を担うべく事業活動に余念がない。
現在の会員数は299社。ピークからは減ったが、若い芽も育ちつつあり新たな息吹も感じられる。節目に際し、成熟した市場における業界団体の在り姿と今後の展望を、皆で考える機会にしたい。
(太田 一郎)