野崎忠五郎商店(本社・三条市、社長・野崎正明氏)は創業1877年(明10)、鍛造業からスタートし、1913年には屋号である「鐵のカネチュウ」として新潟県内、福島、山形に販路を拡大。今は特殊鋼、条鋼、鋼管、薄板をはじめアルミニウム、黄銅、チタン等非鉄も扱い「鐵の総合デパート」を掲げている。
創業の地、三条市一ノ木戸にあった旧事務所で長く保管されていたのが、幕末から明治期に活躍した「越後のミケランジェロ」こと彫刻師・石川雲蝶の木彫りの達磨法師だ。
野崎忠五郎氏の妻で4代社長・野崎クマ氏の時代に購入したものと伝えられる。現在は同地にある野崎家で保管。大切に床の間に飾られ、お盆には灯りをともし、手を合わせているという。
野崎社長は「クマ氏は自分が7歳のときまで存命だった。大正から戦中、戦後を生き抜き、現在の礎を築いたまさに当社の中興の祖であり、女傑(豪傑)だった」と振り返る。
達磨法師の背を拝見すると「工匠・雲蝶」という銘が彫られ、前を見つめる鋭いまなざしからは激動の時代を見つめてきた凄味を感じるほど。
「有事の時はまず避難させることと伝わる。鑑定番組に出そうと思ったほどだ」と野崎社長ははにかむ。
クマ氏は1948年の三条鐵鋼協同組合(現・三条商鐵組合)設立メンバーにも名を連ねている。三条市立裏館小学校の旧校庭に二宮尊徳翁の像を寄贈。産業振興祈願祭を行う金山神社の擬宝珠(ぎぼし)を寄進する等、社会貢献にも熱心で、信心深い方だったという。
同時期のものとして東郷平八郎の書等が伝わり、地域の貴重な宝が散逸しないよう保護したと考えられる。
野崎社長は「我々もこの達磨法師を見て先祖を誇りに思うと同時に、人間としての器の大きさを励みに頑張ってきた。形は違えども同じように社業発展、社会貢献に励みたい」と話す。
7代目の野崎社長自身も三条商鐵組合長を経て、現在、三条商工会議所副会頭を務め、地場産業発展に尽力している。「今の時代は日常の生活をこなすのに精いっぱいだが、達磨法師にあやかり、ゆとりを持った考え方、発想が必要だと思う」と胸の内を語る。(杉原 英文)