国産市販さく岩機第一号の「ASD11」
国産市販さく岩機第一号の「ASD11」

 古河機械金属の発展の礎となった足尾銅山(栃木県)。この地で生まれたのが国産第一号となるさく岩機だ。

 足尾銅山は、1877年(明治10)に古河グループ創業者の古河市兵衛が経営に参画すると欧米から最先端の技術・設備が積極的に導入され、いち早く鉱業の近代化が進められた。その足尾で初めてさく岩機が使用されたのは1885年、ドイツ製のものだった。さく岩機が無い時代は鉱山労働者が重いハンマーでノミを叩き、岩に発破用の孔をあけていたが、さく岩機の導入で作業効率が劇的に向上し、労働者の負担も大きく軽減した。だが、当時の輸入さく岩機は耐久性に課題があり、修理に必要な部品も容易に入手できなかった。そこで足尾では壊れた部品の修理や製作を行うために工作課を1900年に設立。ここでさく岩機製作に関するノウハウが蓄積され、国産初のさく岩機を生む土壌となった。

 また、外国製のさく岩機は大型だったため、日本人には扱いづらいという難点もあった。これを受け、足尾では日本人にも使いやすい独自のさく岩機の開発に着手。1914年(大正3年)に工作課の川原崎道之助氏が実用国産第一号となる「足尾式3番型さく岩機」を完成させた(「1番型」、「2番型」の図面は残るが、記録がないため「3番型」が国産第一号とされている)。さらに2年後には3番型に改良を加えた小型・高性能の「ASD11」(名称・ハンドハンマ)が開発され、外販も開始した。

 今回特別にこの国産市販さく岩機第一号の「ASD11」を動かしてもらった。動力となる圧縮空気を送る栓を開くと、さく岩機が前後に動き「ドッドッドッドッドッドッ」という迫力のある音と大きな振動が伝わってくる。足尾さく岩機(栃木県)の落合望社長は「当時は現在のように高度な加工機械や測定器具などがなく、精密さが求められる部品一つ一つを職人が手の感覚などを頼りに製作し、組み上げられていた。大量生産はできず、1カ月で10台程度の生産だったと思う」と説明する。大正初期に作られた機械が今でも正常に動くことも驚きだが、当時の職人の技術力にも感嘆させられる。

 足尾のさく岩機は、当初は古河系列の鉱山で使われていたが、そこから他鉱山に流れた鉱山労働者の評判で多くの鉱山に広まっていった。その後も同社はさく岩機製作の先駆者として革新的な製品を生み出し続け、現在でも国内外で高い評価を得ている古河ブランドのさく岩機事業につながっている。(相楽 孝一)