銘板の裏側には現社名。社名変更後も使用した
銘板の裏側には現社名。社名変更後も使用した

 大洋商事(本社・東京都中央区、社長・北信一氏)が山大機工として産声をあげたのは1947年10月。創業者の故波多野毅男氏は三菱商事の金属部鋼材係長だったが、財閥解体で発足した新会社、丸の内商事に行かず、一人で身を立てる覚悟を固めていた。その波多野氏のもとに金属部、機械部の有志を含む創業メンバーが集い、12人で旗揚げした。

 波多野氏はのちに「海図、羅針盤などの海上航行に必要な備品も装備もなく、運を天に任せて太平洋へ手漕ぎの和船で船出したようなものだった」と振り返った。資本の蓄積は皆無に等しく資金繰りは多忙を極め、極度のインフレ状況下で特殊鋼価格が数カ月で2倍以上に跳ね上がり、販売先からの代金回収も円滑とは行かず、絶えず資金不足に悩まされていたらしい。

 その創業期から歴代社長の机の近くに置かれてきたのが写真の金庫。少額の赤字が1回あっただけで、60年代以降は無借金経営を続ける同社の歴史を見守ってきた。

 昨年9月に本社をビル内のより広い階に移転した際、初めて金庫を買い替え、古い金庫は飾ることにした。北社長は「代々の先輩たちの苦労の塊。先達への感謝の思いは大事にしたいし、捨てたら創業者に叱られます」と話す。高さ104センチ×幅75センチ×奥行67センチの重い金庫を書棚の間にぴったり納めるために、ハンドリフトで慎重に運び入れた。

 今や電子決済の世の中だが、かつては紙の手形をこの金庫に保管した。週末に銀行に運ぶまで、多い時は数十億円分はあったという。現在は昔使用した木製の会社銘板や会員之証を納めている。

 ダイヤル式だが金具が壊れているため開錠するにはコツがいり、今の同社で開けられるのは3人だけ。「私は開けられません」と北社長。資金・経理も担当する安斎勇一総務部長は「歴代総務部長は金庫番と言われてきましたが、面倒な金庫を開けられるだけのことかと」と苦笑いする。

 買い替えに当たり、業者から「耐火性が足りないので、火事にあったら中身が蒸し焼きになるところでしたよ」と教えられそうだ。

(谷山 恵三)