レゾナック大町工場で製作した国産アルミ地金の一号塊
レゾナック大町工場で製作した国産アルミ地金の一号塊
☆日本アルミニウム産業の歩み
☆日本アルミニウム産業の歩み
レゾナック大町工場で製作した国産アルミ地金の一号塊 ☆日本アルミニウム産業の歩み

 19世紀初頭に英国の電気化学者ハンフリー・デービーによって発見され、第一回パリ万博(1855年)で広く知られるようになったアルミニウム。86年に画期的な電解製錬法が発明され大量生産が可能となって以来、鉄や銅に比べて軽く、強度も持ち、耐食性、加工性、導電性といった特性を生かし、輸送から建設、食品、電機分野まで現代産業には欠かせない金属となっている。日本のアルミニウム産業の歩みを振り返る。

戦前戦後のアルミ産業

 日本にアルミニウムが伝わったのは1867年。第二回パリ万博でアルミの棒を目にした日本の使節団が紹介した。その後、1890年代に入り明治政府が軍隊の備品にアルミを活用する動きが広がり、次いで食器や容器などにもアルミが普及。当時はアルミ地金の調達を輸入に頼っており、圧延などの加工分野がアルミ業界をけん引した。

 戦闘機などの航空機向けでもアルミ需要が拡大する中、1934年にレゾナック(当時は日本沃度、のちの昭和電工)が大町工場(長野県大町市)でアルミ製錬の工業化を実現。次いで住友化学や日本軽金属などが参入し、アルミ製錬業が日本でも開花することとなった。アルミ地金の国産化と並行してアルミ合金の研究開発力も飛躍的な高まりを見せ、36年には超々ジュラルミン(A7075)を開発。第二次世界大戦で零戦に採用されるなど、軍用機を最大需要先とした日本のアルミ産業は存在感を高めた。敗戦に伴う航空機産業への規制強化を受け、最大需要先であった航空機市場が消失。このため戦後のアルミ産業は鍋や釜といった民需に転換し、再スタートを切ることとなった。

 民需生産が50年ごろから軌道に乗り始める中、高度経済成長期(54~73年)を迎えたことで洗濯機や冷蔵庫などの家電製品にアルミ採用が拡大。また冷却用途の部材にも使われるなど活躍の場を広げた。

製錬業の興隆と崩壊

 戦後のアルミ需要回復を背景に、アルミ製錬業界も増産姿勢を強めた。最盛期には大手6社で国内14工場、年間164万トンの能力を保有するまでに規模が拡大した。70年代後半には米国、ソ連に次いでシェア3位となり、アルミ新地金の一大生産地として興隆を誇った日本のアルミ製錬業界だったが、2度にわたるオイルショック(73年と79年)を契機に衰退の道を歩んだ。

 日本は他国以上に石油価格上昇の影響を受けた。それはカナダ(水力発電100%)や米国(水力40%、石炭40%、重油20%)と比べて日本(重油75%)は重油火力に偏重したエネルギー構成だったためで、当時の計算では1トン当たりの電力コストが20万円の日本に対し、カナダは約2万円、米国でも約8万円と比べる余地もなかった。こうした決定的なコスト差に加え、アルミの輸入関税引き下げやニクソンショック以降の急激な円高進行が重なり、国内の製錬メーカーは水力発電施設を持つ日本軽金属蒲原工場を除き、87年までに撤退を余儀なくされた。

 国内製錬が縮小に向かう中、海外で生産するナショナルプロジェクトが活発化した。海外案件ではオイルショック前の71年に稼働したニュージーランド・アルミ(NZAS)があり、74年以降にアサハン(インドネシア)、ベナルム(ベネズエラ)、アマゾン・アルミ(ブラジル)といった製錬拠点が開設され、日本向けのアルミ新地金供給基地としての役割を果たした。アマゾン・アルミはグリーン地金供給拠点として、今なお日本のアルミ産業を支えている。

加工中心に移行

 国内製錬業界の縮小が決定的になり、日本のアルミ産業は新地金を輸入し圧延をはじめとした加工業界が中心となる体制に移っていった。

 日本のアルミ製品需要量は69年に100万トンを超え、73年に200万トン、87年に300万トン、96年には400万トンを突破した。60年代から70年代前半の伸びはサッシのアルミ化を捉えたものだった。従来サッシはスチール製が一般的だったが、施工性やメンテナンス性に優れるアルミに注目が集まり爆発的に需要が増加。その後もサッシをはじめとするアルミ建材は、バブル景気におけるビル建材需要やマンション需要を捕捉。アルミ需要の基盤として、長きにわたり大口需要先としてあり続けた。しかし、足元では断熱性能が優れる樹脂サッシの台頭でアルミサッシの需要は減少が続き、出荷量全体に占める建築向けの割合は1割強まで低下。建材分野におけるアルミの活用の在り方は今後の課題になっている。

 飲料容器のアルミ化も需要押し上げに寄与した。71年にオールアルミ缶ビールが発売されて以降、飲料容器がアルミに置き換わり始めた。また、89年に酒類販売免許の段階的な規制緩和が始まったことでスーパーやコンビニエンスストアが缶ビールを取り扱い始めたことが追い風となり、96年には缶材出荷が40万トンを超えた。その後はペットボトルの台頭に押されながらも、ボトル缶などの新製品販売で一進一退が継続。足元では人口減少と缶の薄肉化進展などもあり微減傾向が続いているが主要需要先の地位を守っている。

 また自動車分野でも80年代以降、アルミの採用が拡大した。80年代後半には自動車熱交換器材においてコストと軽量化の観点で銅からアルミに転換。2000年以降も軽量化のためにボンネットやドアなどにアルミパネルが使用されるケースが増えているほか、足元ではワイヤーハーネスのアルミ化も進行中だ。今後もEV市場の拡大でアルミの活躍の場は増えていくとみられている。

 需要のさらなる伸びが期待される一方、近年は脱炭素社会の実現に向けた対応がアルミ業界でも重要なキーとなっている。電解製錬に大量の電力を使用するアルミを従来通りに使い続けるのではなく、環境に配慮したアルミ地金を求める動きが拡大している。

 環境負荷低減のためには製錬に使用する電力を再生可能エネルギー由来の電力で製錬(グリーンアルミ原材料)するか、リサイクル原料を活用(リサイクルアルミ原材料)するかという二択となる。国内に製錬業を持たない日本は、グリーンアルミ原材料では調達先となる海外製錬メーカーとの関係強化や海外資源開発プロジェクトへの参画がカギになってくるとみられる。

 一方でリサイクルアルミ原材料では国内のメーカー・商社が活用に向けた取り組みを加速している。特に飲料缶のような水平リサイクルや、雑多なスクラップを分別して展伸材に再生するアップグレードリサイクルに注目が集まる水平リサイクルでは、缶やサッシだけでなく、自動車パネルや新幹線・地下鉄車両などで適用の幅が拡大。またアップグレードリサイクルでもサッシや家電、医薬包装用アルミ箔などで取り組む企業が増加している。一連の環境対応を急ぐことがアルミの活躍の場を広げることになるに違いない。

 日本でアルミが利用されるようになってから約130年。製錬の崩壊など苦難を味わいながらも日本のアルミ産業は成長を続けてきた。目先もアルミの特性を生かしながら時代のニーズを捉えることで、アルミ産業のさらなる活発化につながると期待されている。