「自然体で迎える」と語る還暦の節目。「偶然だが現中期経営計画の策定委員長を拝命した。次なる闘志を燃やして新たな飛躍を」と力を込める。 海外貿易への憧れから商社マンの道へ。好景気だった“財テク時代”の1991年に米ニューヨークへ赴任し、国際金融の最前線で高額な資金運用を手掛けた。その後はバブル崩壊で事態収束に専念し、昼夜逆転の状態で日本とのや...