「還暦を迎える感慨はなく、通過点という感覚。今年本厄という意識の方が強い」と体調管理に気を遣う。 1989年川崎製鉄入社。3年目で米アームコスチールの操業指導に携わったことで自信がついた。2003年のJFEスチール誕生の際には交流人事を経験し「皆でいい会社になろうと頑張った」。福山で製鋼工場長として月産粗鋼100万トン超えに貢献したことも思...