大手丸棒流通の大阪鉄材商事(本社・大阪市浪速区、社長・梁川泰人氏)のお宝は、本社玄関を入ってすぐのところに飾られているガラスオブジェだ。このガラスオブジェは、旧昭和銀行新町支店の玄関扉として使われていたものを同社が譲り受けた。梁川正成会長は「お金に縁のある験のいい物ということで、創業者が頂いたのだと思う。昭和銀行の〝自己責任〟という精神を受け継ぎ忘れないため、現在も当社の玄関に飾っている」とする。
お宝のガラスオブジェは、かつて同社の本社事務所の玄関扉として使われていた。同社は、1937(昭和12)年に梁川泰新氏が大阪市内で創業。間もなく戦時経済体制に入り、鋼材販売は配給制へと切り替わった。45年の大阪大空襲で当時の本社事務所は消失してしまった。そのため戦後、同社にとって大きな課題は事務所の確保だった。50年には現在の本社がある大阪市浪速区の土地を取得。戦後の経済統制の影響が残る中、戦災で焼け残った近隣建物の資材を活用し、木造の本社社屋を建設した。その事務所の顔となる玄関には、譲り受けた旧昭和銀行新町支店の玄関扉が使われ、レトロな銀行の面影を感じさせていた。中央に縦書きで「大阪鉄材商事株式会社」と金箔で社名を入れたが、近づいてよく見ると横書きで「株式会社昭和銀行新町支店」の痕跡が確認できる。
この旧昭和銀行とは、昭和恐慌により破綻した銀行の債権・債務を引き継ぎ、預金者や取引先を救済するため、42年に設立された日本版ブリッジバンク。破綻処理では、破綻銀行を厳しく査定し、税金を一切使わずすべて自己責任で完結させた。42年にその任務をほぼ終え、44年に安田銀行(現みずほ銀行)に承継されている。
同社は、創立60周年となった97年に本社事務所を現在のSRC造に建て替えた。このとき旧昭和銀行の玄関扉は外扉としての役目を終えたが、今でも玄関で来客を迎える役目は変わっていない。梁川社長は「当社は今年で創立して85周年、昭和銀行の玄関扉が〝入社〟して72年となる。当社の経営理念である『生命短、事業永』のごとく今後も事業を永続し発展させるため、昭和銀行の自己責任で事に当たるという精神を肝に命じ、経営に当たりたい」としている。(橋川 渉)