

薄板コイルセンター、厚板加工・製罐業の和信産業(千葉市花見川区千種町、社長・遠藤重裕氏)の本社・千葉工場には波付け成型ロール機が鎮座する。
「波付け」は、鉄板を文字どおり波形に成型する加工。それを屋根材や壁材として使う。その歴史は長く、まだ和信産業に改組する以前の遠藤商店時代だった昭和20年代半ば頃から手掛けていた。
草創期を知る先人によると、昭和30年代初めにはすでに設備が2台あり、1台は当時の下谷新坂本町(現・台東区北上野)にあった本社倉庫に、もう1台は南千住にあった千住倉庫で保有していた。
大型船舶用の歯車とシャフトを取り付けさせた特注品だそうで、当時これほどの大型設備を持っていたのは「和信産業だけ」と業界内でも評判だった。
注文を増やすために大手の委託加工を受けるようになった昭和32年から仕事量は一気に増大する。波付け用のカットシート(切板)をこしらえるため足踏みシャーで3尺幅に剪断する作業が毎晩深夜まで。夜10時を過ぎると、さすがに現場作業者も足が動かなくなる。それでも両足に力を込めて旺盛な受注量をこなした。
成型も、いかに効率を高めて加工時間を短くするかが課題で、設備に搭載されていた材料自動供給装置を取り外し、手動に切り替えたところ能率が上がり、納期短縮につながった。
先人いわく「この波付け機が、当時の従業員の給料を稼いでくれた」。それほど「波付け」は、和信産業の初期の事業成長を支えた。その証として今も現存するモニュメントは、間違いなく同社の歴史を物語る「宝」である。
前社長の遠藤重康会長(66)も、幼少期の記憶の中にこの波付け機の存在がおぼろげながら残っている。当時、新坂本町倉庫の2階に祖母の自宅があり、遠藤少年が遊びに行くたびに1階にあった設備を目にしていた。
その後、同社は昭和35年に千葉県轟町(現・千葉市稲毛区轟町)に千葉工場を開設。これに伴い、千住倉庫を閉鎖し、それと同時に波付け機の稼働も停止し「波付け」から撤退した。ちなみに現在の本社・千葉工場(千種町)には昭和47年に拡張移転している。
その本社事務所内には、同社がまだ新坂本町で商売していた頃に使用していた「前掛け」が飾られている。まだ荷役クレーンのない時代に、現場で鉄板を手積み・手降ろしすると作業着が汚れるので、それを防ぐために着用したもの。これもまた、当時を偲ばせる歴史の〝語り部〟である。
(太田 一郎)