

日本の釘(洋釘)製造の草分け企業である安田工業(東京都千代田区、社長・荒木信仁氏)は、安田財閥の創始者・安田善次郎氏によって創設された。東洋で初めて製釘業を起業することを決意し、1912年(大元)に当時では東洋最大の製釘工場となる八幡工場を建設した。
同社の八幡工場は現在も当時と変わらない姿をとどめており、創業当時に使っていた1894年の米国製の製釘機が大切に保管されている。
この製釘機には動力源のモーターは付いていない。工場内の梁や土間下に一本の長尺シャフトを通して自家発電設備で回し、回転するシャフトからベルトで伝わせて製釘機を動かしていた。最盛期には米国やドイツなど海外製の製釘機が400台以上並んでいたという。
また八幡工場の建屋も誇るべき〝お宝〟である。設計者は東京駅や日本銀行本店などを手がけた近代日本の建築界の重鎮・辰野金吾氏。工場として現存するのは同社の八幡工場のみであり、北九州商工会議所の産業観光推進室が選定する産業遺産施設にも選ばれている。
残されている資料によると、建設当時の概要は建築面積737・6平方メートルで鉱滓煉瓦造の1階建て、屋根の最高高さは13・6メートル。鉱滓煉瓦は官営八幡製鉄所の高炉から出た鉱滓を再利用した。
基礎部分となる地中には建物の荷重を分散できるように煉瓦を連続アーチ型に組み上げた構造となっており、アーチ状の基礎底盤部分のみにコンクリートブロックと基礎底盤部を固定する松杭が使用されていたことが1993年の調査から明らかとなった。
工場内の内装材も当時の木造梁が現在も工場の屋根を支えている。一部クレーン設備はその木造梁に設置されている。貴重な建造物は工場としても現役であり、今も創業当時と変わらない製釘機の音が構内に鳴り響いている。
(伊藤 健)