


日本鉄リサイクル工業会は、きょう7月1日で創立50周年を迎えた。前身となる「社団法人日本鉄屑工業会」の設立が1975年(昭和50)7月1日。それから16年後の91年7月に名称を「日本鉄リサイクル工業会」に変更した。同工業会は大きな時代の変化に対応しつつ、一貫して鉄スクラップ業の安定と発展に貢献してきた。半世紀の節目を機に同工業会発足の経緯や、50年の歩みについて歴代会長の事績を中心に振り返る。
日本鉄屑工業会の発足は1974年9月の合理化カルテル廃止が直接的な契機となった。
それまでのカルテルに替わる需給調整組織として(1)鉄スクラップ備蓄を実行する「日本鉄屑備蓄協会」(2)加工設備の投資に関する債務保証を行う「回収鉄源利用促進協会」(3)鉄スクラップ供給側を代表する全国組織の「日本鉄屑工業会」―の3法人が75年6~7月に相次ぎ発足。日本の鉄スクラップ需給を総合的に安定させることが通商産業省(当時)から期待された。
遠因に石油ショック
カルテル廃止は73年の第一次オイルショックに伴う狂乱物価が影響したとされる。74年には鉄スクラップのカルテル協定価格トン1万7千円に対し、実勢価格は5万円に高騰。鉄筋棒鋼の価格も10万円台とカルテルによる価格統制は現実味が失われていた。こうした状況を踏まえ、公正取引委員会は74年9月、カルテルの延長申請を却下。55年から19年間続いたカルテルが瓦解した。
カルテル廃止を見据えた通産省の3法人設立構想は74年には業界内で表面化していた。任意団体だった鉄屑問屋協会や鉄屑加工処理工業協会を母体に新団体の設立準備が進められ、鉄スクラップ業と商社を大同団結する形で75年6月16日、東京・八重洲のホテル国際観光で「社団法人日本鉄屑工業会」の創立総会が盛大に開催された。
同工業会は通産大臣の許可を受け、7月1日付で設立となった。
一方、鉄鋼メーカーはカルテル廃止をにらんで74年1月、鉄スクラップ備蓄を目的とする「鉄スクラップ・リザーブ・センター(SRC)」を設立した。ただ、需要家のみで運営する組織だったため独占禁止法に抵触する恐れが指摘され、実質的には機能しなかった。
その代替として設立されたのが日本鉄屑備蓄協会で、工業会は同協会に1億円を出資した。加工設備の導入によって製造業として事業を近代化させたい鉄スクラップ業界のニーズもあり、回収鉄源利用促進協会には工業会が1億2千万円を出資。3法人が協調して需給安定を図る三位一体の体制が築かれた。
鉄くず業、産業分類で「製造業」に
社団法人の工業会が発足したことで、翌76年には日本標準産業分類で卸売業だった「鉄くず業」が、「製造業」の「鉄スクラップ加工処理業」に認定された。77年には中小企業近代化促進法の指定業種に。その後、鉄スクラップ業の経営や設備の近代化が進む上での法的な後ろ盾となった。
ダスト問題浮上、環境対応が課題に
工業会の初代会長を務めた小澤肇氏(当時・産業振興社長)は「日本鉄屑工業会十年史」で「この10年間は鉄くず産業が工業としての地位を国に認められ、近代化計画実施にとりくんだ年月だった」(刊行のことば)と語っている。
シュレッダー設備の導入が進んだ80年代を経て、90年に入ると豊島事件などダスト処分が社会問題化。93年に第2代会長に就いた坂本護氏(東金属社長)は業界の課題を新3K(過積載・過当競争・環境)と表現し、環境対応の重要性を強調した。
96年に会長を引き継いだ鈴木孝雄氏(鈴徳社長)も「環境に貢献する工業会」という〝新々3K〟をスローガンに掲げた。家電や自動車など個別リサイクル法が計画される中で、工業会でも従来以上に社会的な役割を意識。98年にはシュレッダー委員会を環境委員会に改組した。鈴木会長は工業会組織の合理化を図ったほか、既に役割を終えていた「回収鉄源利用促進協会」の解散を99年に決議した。
輸出国に転換、活発に海外交流
90年代前半に日本は鉄スクラップ輸出国に転じ、その後は中国などの経済成長もあって日本からの鉄スクラップ輸出が拡大した。
2006年に第4代会長となった中辻恒文氏(中辻産業社長)は国際ネットワーク委員会の委員長を務めていた経験も生かし、海外団体との交流を積極化。09年にはBIR(国際リサイクリング協会)に加盟したほか、中国や韓国の団体を招いて「東アジアリサイクル会議」を開催した。同会議は10年から台湾やBIR、米国のISRI(現・ReMA)なども加えた「国際鉄リサイクルフォーラム」に名称を変更。その後の影島一吉会長(影島興産社長)、鈴木徹会長(中田屋社長)の時代にも全国大会のプレイベントとして毎年継続して開催された。
コロナ禍の対応に迫られた伊藤弘之会長(大成金属社長)時代の20年に同フォーラムはいったん休止したが、21年からはオンライン形式で開催された。
CN時代、公正な競争実現へ
20年代はカーボンニュートラルに伴う鉄スクラップ価格の高騰もあって、新規参入業者による不適正なヤード運営が社会問題化した。
22年に第8代会長に就任した木谷謙介氏(シマブンコーポレーション社長)は、23年に特別委員会「適正ヤード推進委員会」を設置。行政や他団体と連携し、公平・公正な競争環境を実現すべく活動に力を入れている。