人生をがらりと変えたのは、新日本製鉄副社長だった「輸出畑のドン」こと寺西信美氏。寺西氏が日鉄商事の社長に就くや、貿易部門の強化が打ち出され、若手だった鶴見氏も初任地の大阪から東京の鉄鋼貿易部へと異動に。図らずも国際派となり、多様な品種で貿易や海外に携わってきた。1987年からは5年に亘り台湾に駐在。支店になる前の台北連絡事務所で、数少ない所員...