入社2年目に語学研修で韓国へ渡り、激しい民主化デモに揺れる延世大学で学んだ。 30代の時に韓国駐在の打診を受けたが、一転して自身が薄板部で企画立案した中国の大連藤洋鋼材加工へ副社長として赴任することに。鉄鋼の経験皆無の若者たち相手に朝から夜遅くまで営業の実務を教え込み、夢を語り合った。1999年には丸紅系の大連日紅鋼板加工と統合。今の伊藤忠...