発見された拓南商事の自動車解体機プロトタイプ
発見された拓南商事の自動車解体機プロトタイプ

 2019年の夏、取引先の自動車解体業のヤードである営業マンが古びた重機を見つけた。「これは、我が社のニブラー(自動車解体機)のプロトタイプでは?」。

 沖縄県唯一の電炉メーカーである拓南製鉄所をグループに持つ拓伸会(会長・古波津昇氏)は、総合スクラップ業の拓南商事がルーツとなる。1953年に創業した同社は、戦禍の後、県内に多く残るスクラップを沖縄の資産として扱えないかと尽力していた。スクラップは戦勝国の戦果として、県民は触れることができなかったという。しかし当時、日本へ返還前の琉球政府は財政難で経済的自立を民業からも目指そうと拓伸会の初代会長・古波津清昇氏が奔走。ようやくスクラップ取扱事業が軌道に乗り出した頃、沖縄にはマイカーブームが訪れていた。

 電車がない沖縄の移動の手段としてたちまち主役になった自動車は、スクラップ事業でもメインの取扱製品になっていった。その頃の自動車解体は、シュレッダーにかける前の初期解体を数人の手で行っており、時間のかかる大がかりな作業になっていたという。

 そんな状況を見て、当時の古波津清昇社長は、後に取締役となる宮城真治氏に前処理機の開発を命じた。宮城氏が研究を重ねて考案した解体機のスタイルはまな板の上で魚をさばくイメージに近く、解体する車を上から押さえつける固定具を持ち、上から解体するハサミでパーツを取り外していく。それが「ニブラー」と呼ばれる解体機の原型だった。

 当時のニブラーは、拓南商事が油谷重工(現コベルコ建機)に設計を依頼して制作したものだったが、後に油谷重工のヒット商品となり宮城取締役は科学技術長官賞を受賞。やがてニブラーは世界的にシェアを獲得し、2010年に改めてコベルコ建機が拓南商事に感謝状を贈った。

 現在、ニブラーの性能は大きく向上し、1日で60車体を解体する。10分足らずで1台を解体できる計算だ。拓南商事ではニブラー5台を操業させ、自動車は今もスクラップ業の中心にある。

 宮城取締役が設計したニブラー試作機は、時を経て解体業の事業主の手に渡っていた。現在は使用されていなかったという。拓南商事の営業マンが商談中に発見し、同社グループの象徴として今回迎え入れることになった。「自動車のリサイクルは今でも沖縄の製造業、鉄鋼業が県内で完結していくために中心となっていく事業だと理解している。今までリサイクル法の改定にもいち早く対応して自動車の解体環境を整えてきたし、電気自動車が普及する時代の研究もグループをあげて行っている。ニブラー試作機は、私たちの事業の本質が何かをよく示している」(平田要副社長)。(中島 康晴)