100周年を機に「復興」と題し設置した
100周年を機に「復興」と題し設置した

 中部地区で初めて磨棒鋼生産に乗り出し、2020年に創業100周年を迎えた鈴豊精鋼(本社・名古屋市緑区、社長・鈴木貴博氏)の本社工場事務所棟横には、戦後の同社磨棒鋼生産を力強くけん引したドローベンチ(バー・ツー・バー引抜機)、先付機、矯正機が、モニュメントとして飾られている。

 1920年、創業者である鈴木治郎氏が鈴木鉄工所を立ち上げ、順調に事業を拡大していたが、第二次世界大戦が勃発。名古屋大空襲で工場が消失してしまう。

 戦中病死した治郎氏に代わり二代目に就任した鈴木豊治氏は、焼け野原となった創業の地で再起を誓う。資材不足の中で木材などをかき集め、疎開させていた一部の機械を移設して、同社第二のスタートを切った。

 当時磨棒鋼の量産設備を製造するメーカーがなかったことから、技術畑だった豊治氏は機械を自らの手で製作する。それがバー・ツー・バー、すなわちドローベンチだった。

 お手製の機械とあって、操作はすべて職人の「勘、コツ」、つまり匠の業が必要だった。三代目社長で現会長の鈴木智博氏は「機械が故障した際、父(豊治氏)と社員さんが懸命に修理していた姿をよく覚えている」としている。

 1950年早々に日本電装(現・デンソー)との取引がスタートしたこともあり、自動車関連の業務が徐々に増加。増産対応力を狙って今の本社所在地・大高の地へ製造拠点を移設したが、このドローベンチは主に小ロット品、焼入後に大きく曲がった製品の引抜を行った。本社機能を現在地に移した2006年まで稼働していた。

 現役を退いてからしばらく工場建屋に保存されていたが、創業100周年、4代目社長・鈴木貴博氏の就任という節目でモニュメントとした。

 外観を黒色に塗装し直し、ドローベンチの一部をカットした上で、「復興」と題して工場正門側から工程順に陳列する。現在の鈴豊精鋼の礎を築いたことを末永く記憶に残し、自動車の大変革期を乗り越え、次の100年に向け挑戦するための支えとする――シンボルにはこうした思いが込められている。

 このモニュメントを精神的な支えとし、戦後再出発時の精神、技術を後世へ脈々と伝え続けながら、鈴木智博会長が「一番の宝」と考える社員の力を原動力として、鈴豊精鋼は今後さらなる飛躍に挑んでいく。(佐野 雄紀)