初任地の水島製鉄所では鋳造工場の閉鎖で100人の雇用先を求め奔走。鉄冷え時代の千葉製鉄所では人事掛長として1千人を超える移籍を実施した。本社労政室では今につながる複数年協定の締結に携わり「労働組合の声に真摯に耳を傾けながら」会社生活の大半を過ごしてきた。 東日本製鉄所時代は硬式野球部で副部長・部長として3度、東京ドームのベンチに。現在の落合...