2007年に掲げた経営理念「人を思うは身を思う」
2007年に掲げた経営理念「人を思うは身を思う」
広幅ベンダーを有する横須賀工場内
広幅ベンダーを有する横須賀工場内
本社・東京工場
本社・東京工場
小泉元首相と村山氏(左)(2007年6月の式典にて)
小泉元首相と村山氏(左)(2007年6月の式典にて)
2017年に子会社化した「栄工業(座間工場)」
2017年に子会社化した「栄工業(座間工場)」
3カ年計画の骨子を語る秋本社長(2025年6月の経営方針説明会にて)
3カ年計画の骨子を語る秋本社長(2025年6月の経営方針説明会にて)
中部大学との産学連携事業にも着手(中央が教育技術部の川口氏)
中部大学との産学連携事業にも着手(中央が教育技術部の川口氏)
2007年に掲げた経営理念「人を思うは身を思う」 広幅ベンダーを有する横須賀工場内 本社・東京工場 小泉元首相と村山氏(左)(2007年6月の式典にて) 2017年に子会社化した「栄工業(座間工場)」 3カ年計画の骨子を語る秋本社長(2025年6月の経営方針説明会にて) 中部大学との産学連携事業にも着手(中央が教育技術部の川口氏)

 今年は、各種曲げ加工および精密板金・筐体製作のマゲテック(本社・東京都大田区萩中)が創立70年目に入るとともに、前身の金澤シャーリングから現マゲテックとなって20年の節目に当たる。この間の歩みを振り返るとともに、これまで長く経営の中枢を担った村山隆重特別相談役とこれからの事業推進を担う秋本誠社長に「グループの課題と将来展望」を聞いた。

 旧金澤シャーリングは、今のマゲテック本社がある大田区で1957年(昭32)10月に金澤吉平氏が創業。社名に「シャーリング」とあるが、早くからシャー切断後の折り曲げ加工にも着手し、業界では「曲げのカナシャー」で知られた。

 創業3年目に、15歳2カ月の村山隆重少年が縁あって入社する。村山氏は45年(昭20)2月に新潟県十日町の農家に生まれ、中学卒業後に上京。金澤家との姻戚関係はなく、鉄板の種類も設備構造も知らない。そこで16歳から近所の夜学に通い、機械科を専攻する。そこで教わった製図設計の授業にハマり、寮に帰り寝る間も惜しんで朝まで図面描きに没頭したこともあった。

 20歳で卒業するまで4年間を通じて精勤賞に輝き、数少ない「優等生」にも表彰された。このとき「普段は褒めることのない社長から褒めてもらえた」ことがうれしく、今でも覚えている。

曲げ技術に定評、横須賀進出

 当時、界隈には同業が数社あったが「曲げのカナシャー」の異名どおり技術力は群を抜き、建材向けの精巧な切断・折り曲げや流線型など意匠性の高い異形・複雑曲げ加工を一手に集めた。それが大手車両メーカーの眼に留まる。図面を読解・展開でき、量産や厳格納期にも応えられる町工場は他になく「カナシャーなら図面を丸投げすれば一貫加工して納めてくれる」と信頼を高めた。これが草創期の業容拡大に寄与する。まさに村山氏の功績であり、夜学の成果がここで花開いた。

 車両大手からの受注増で工場が手狭となり、横須賀に新工場開設を決める。これが今の横須賀工場だが、責任者に抜擢されたのが25歳の村山氏だった。工場を立ち上げたはいいが操業当初は車両の注文だけでは足らず、近隣の町工場に飛び込み営業し、地場で新規需要開拓に奔走した。

 一軒一軒増やしながら数年後には地場スポット仕事が3割に達した。目標の「車両大手向けと地場町工場向けが半々」には及ばなかったが、村山氏の人柄と熱意を込めたドブ板営業が実る。高度な加工技術と品質管理・納期対応力も、口コミで広がっていった。

廃業危機、MBOで突破

 そんな折、車両大手が取引を撤退し、4割の仕事を失う。窮地に立った村山氏が打った手が、大型設備投資だった。オーナーの反対を押し切り、競合先に無い6メートルの広幅ベンダーを導入。この逆転の発想が功を奏し、次第に長物曲げの新規注文が漸増する。その一つが特装車向けであり、今では横須賀工場の主軸となっている。

 「進出当時、自分を信用して仕事を出してくれた町工場の親父さんや大口取引を失った時に助けてくれた特装メーカーのおかげで今のわが社がある」とし、恩返しのためにも仕事に精進した。

 こうした活躍が認められ、跡取り息子の優氏が病弱だったこともあり、2003年(平15)に3代目社長に就任する。遅咲きの苦労人はこれまで以上に奮闘努力するが、創業50年を翌年に控えた06年春に優氏が病死。このとき創業家では、血縁の跡継ぎ不在を理由に廃業を決めた。

 これに「待った!」をかけたのが村山氏だった。多くの取引先・顧客との関係持続や従業員の雇用を守るためには到底、容認できる話ではなく、当時はいわゆる「株を持たない雇われ社長」の立場だった村山氏が株主である創業家との交渉の末、MBO(経営陣または従業員が所属する企業や事業部門を買収し独立)による株式過半数を取得。07年3月に、名実ともに経営権が村山氏に譲渡された。

「マゲテック」に移行

 経営体制が、創業家から社員代表とその理念に賛同した仲間たちに移行したカナシャーは、これを契機に社名も「マゲテック」に改称。4月から新体制がスタートした。

 同年6月15日。旧カナシャー創業50年の節目と新マゲテック発足の門出を披露する「感謝の集い」を横浜で開催した。お祝いに駆け付けた招待客300人の中に、時の衆議院議員で内閣総理大臣を辞したばかりの小泉純一郎氏がサプライズゲストで登場。祝辞で「逆境に負けず、信念を貫いて夢を叶えた村山さんに敬意を表し、社員の皆さんも激励したくてこの場に来た。社名も、曲げる仕事だから『マゲテック』なんて面白い発想じゃないか」と小泉節を炸裂させ、会場を沸かせた。

次世代へ承継、着々と

 半世紀に及んだ創業家による経営から、生え抜きのベテランを筆頭にした「社員による経営」に移行したマゲテックは、村山社長が掲げた経営理念「人を思うは身を思う」をベースに全員経営参画を促した。理念の末尾には「この思い、必ずや己に還る」とある。社員1人ひとりが〝情けは人のためならず〟を自覚し、実践する社風を根づかせようとのメッセージが伝わる。

 リーマンショック後は受注量が激減し、存亡の危機に見舞われたが、東日本大震災後の復旧復興に絡む難しい要求を必死にこなし「マゲテックに頼めば無理難題にも応えてくれる」との信頼を得たことで苦境を脱出。再建を果たした段階で以前から公約していた「70歳までに経営のかじ取りを後進に譲る」を有言実行し、14年6月に本間靖也氏にその座を譲った。

栄工業傘下に、業容拡大

 事業面では17年8月に精密板金業の栄工業(座間市)をM&Aで子会社化し、社長に秋本誠氏を充てる。12年8月に中途入社した秋本氏は、それ以前は他の製造業で車両部品製作に従事した技術系。入社後は横須賀工場で旺盛な震災復興支援需要に携わり、主力の特装車向け加工も手掛けながら現場経験を積む。その能力を買われ、傘下となった栄工業の経営指揮官を任された。

 翌18年1月には、後継者不在を理由に廃業を決めた筐体板金業の金子板金工業(大田区)の全事業を譲り受け、マゲテック東京工場が引き継ぐ。さらに19年11月には栄工業が、同じく廃業を検討していた精密板金業の押切製作所(相模原市)を子会社化。その後、押切製作所が得意な超微細で「匠」の技能を有する精密板金事業を栄工業に機能集約し、現在のマゲテックグループを形成した。

「第三章」が幕開け

 20年7月には本間氏の後任として秋本氏がマゲテックの社長に昇格し、栄工業社長と兼務する。この頃から、両社を管轄するマゲテックホールディングス社長の村山氏は「真の次世代承継」に向け綿密に将来構想を練り始め、熟慮を重ねたうえで自身が80歳を過ぎた25年6月の株主総会で秋本社長にグループ全権を委譲。マゲテックHDの代表取締役を託し、株式の過半譲渡も決めた。併せて経験豊富な本間氏と若き精鋭の真田雅人氏が取締役としてその両脇を固め、村山氏は役員を退任し特別相談役(社内呼称は終身名誉オーナー)となった。

 今の株主構成は秋本氏が52%で本間、真田両氏で計33%を保有し、村山氏が15%。この新体制で今26年4月から第70期の節目に入っている。

 70年の歴史を、金澤家による旧カナシャー時代を第一章とすれば、MBOで村山氏がオーナーとなりマゲテックとして歩み出したのが第二章の始まり。そして昨年、秋本氏をリーダーに本間、真田両氏を加えたトロイカ体制始動によって第三章が幕開けした。

産学連携事業が具体化

 目下、グループは25~27年度計画の真っ只中。昨年6月の経営方針説明会で秋本社長は、自身が理想に描く「小口や小物すぎて誰もやりたがらない、でも誰かが必要とするニッチ市場を追求し、独自技術と満足度の提供で事業領域を拡充・深掘りする姿」を示し、その実現に向け取り組むべき課題や数値目標を掲げ、全員で共有した。その中で今後のグループ全体の成長に不可欠なコンセプトを「モノづくり企業からコトづくり企業への変貌」とした。

 これは「顧客の課題や要望を的確に把握し、それを満たす高い成果を創出し続けることでグループの存在感を発揮する」ための挑戦である。単に、受けた注文どおりの部材製作にとどめず、独自性を加えた「唯一無二のサービス」を提案・提供する現場力の構築を目指す。それに必要な設備増強や人材育成、IT・DX化を促進するとともに、コトづくり実践のため昨年9月からは中部大学と産学連携による商品・技術の共同研究開発・試作・量産・販売に着手。汎用防災装備品「レスキューカート」はその一環だ。中部大学との産学連携事業への期待は大きく、現在2人の社員が実践を積む。将来的には中部圏へのビジネス展開も視野に入れ、あらゆる可能性を模索しているところだ。

 構造的な人手不足へのBCP対策として自動化・省人化設備・システム投資にも本腰を入れる。東京、横須賀、座間の3拠点で具体的な計画が動きだす。(太田 一郎)