木製の特約店看板には当時の取り扱い製品などが刻まれている
木製の特約店看板には当時の取り扱い製品などが刻まれている

 大阪にはルーツを線材に持つ鉄鋼問屋が多く存在する。鉄鋼二次製品流通・フェンス工事施工の吉田虎(本社・大阪市東成区)もその一つだ。昨年創業100周年を迎えた老舗流通の道のりは、世界大戦やバブル経済、オイルショックと山あり谷あり。吉田渡社長は「今年で86歳。今でもかつての線材製品業界の盛況を思い出し懐かしくなる。また同時に、いま一度商いへの気持ちが引き締まる」と見つめる先にあるのは、同社の応接スペースの壁に掲げられた中山製鋼所の特約店看板だ。

 横1メートル、縦60センチほどの黒塗り木版からなる特約店看板が贈られたのは、おそらく1950年代後半という。当時の社名「吉田虎商店」と送り主の「中山製鋼所」が、金字で深く刻まれており、亜鉛鉄板・丸釘・針金は当時の取り扱い製品。中山製鋼所の線材製品を中山商事などから引き受け、仲間筋に販売していた。吉田社長は「戦後疎開先から大阪へ戻り、高校を卒業。私が入社したころには、先代が大切に入り口に掲げていた。当時、信頼ある特約店はメーカーからこのような看板が贈られ、地域を代表するような気持ちで誇りを持って商いを行っていた」と笑顔で話す。

 日本が高度経済成長期と呼ばれる時代には、線材製品業界も大きく盛り上がった。建設ラッシュに大阪一帯の都市開発や水路整備など。オフィスでは黒電話が鳴り響き、注文を受ければ現場や問屋を駆け回った。「自動車ではなく牛車が道を歩いていた時代。リヤカー風に自分で自転車を改造し、釘など線材製品を詰め込んだ60キロの樽を積んだ。半日以上かけてへとへとになりながらユーザーに商品を届けたのを覚えている」(吉田社長)と振り返る。

 同社は74年に社名を吉田虎商店から改め、現在の吉田虎へ。この頃から線材製品の衰退傾向が顕著になり、新たなビジネスとして84年に建設業大阪府知事許可を取得、工事事業に参入している。現在の売上高はフェンス工事施工の割合が大きなウエートを占めており、線材製品の取扱量はかつてに比べ減少している。しかし、「線材製品業界はシュリンクしているが、決してなくなるアイテムではない。これまでの苦労や情熱を胸に、またルーツは線材であるという思いを大切に、商いを続けていきたい」とほほ笑む。(山浦 なつき)